アパート探し

桂林から南寧に塾を移すに当たっては、当然のことながら、まずアパートを探さなければならなかった。塾兼住宅用として150平方メートルほどの家2軒を、それもできるだけ隣り合って借りたい。どうやって探すか。日本でなら不動産屋に飛び込むところだが、この南寧の地では不動産屋をほとんど見掛けない。従って、まず「この辺りがいいな」と目星をつけた街をぶらぶら歩くことからアパート探しが始まった。広西大学の近辺である。

街路の両側に並ぶアパートを眺めながら歩いていると、そこかしこの窓々から「招租」「出租」といった文字が目に入ってくる。「部屋を貸します」という意味だ。言ってみれば、これらが不動産屋の代わりなのだろう。部屋数なども記し、貸主の携帯電話の番号が書いてある。「これは」と思うのが見つかれば、電話で部屋を見る日取りを約束する。

もうひとつの方法は、アパート群の出入り口にある掲示板を眺めて歩くことだった。こちらのアパートは数棟、あるいは10棟やそこらが「団地」のようなものになっており、入り口に「○○花園」といった看板が出ている。「花園」はここでは「団地」という意味だ。その看板の辺りにこの団地の掲示板があり、やはり「招租」「出租」の紙がべたべたと張ってある。下の写真のような奴で、僕も団地の管理組合に5元(1元=12〜13円)とかを払って、「求租」つまり「部屋を探しています」というのを張ってみた。

ちなみに、上の写真の中に「招合租」というのがあるが、例えば、1軒のアパートが3部屋であれば、それぞれを別々の人に貸しますという広告だ。住居費節約のため、こういう所の1部屋にふたりで住んでいる若者も多い。隣の部屋の住人とは本来は見ず知らず、しかも女の子の隣に男の子、その隣には恋人同士――日本の3LDKのアパートに赤の他人が共同生活している感じだ。けっこう物騒だし、落ち着かないとも思うのだが、みんな我慢しているのだろう。

いずれにしろ、わが塾の新しい在所にしようと思った広西大学付近を1週間、2週間とうろつきまわり、130〜140平方メートルのアパートを2軒、借りることにした。ともに希望よりやや狭いが、2軒は歩いて7〜8分、まあ許せる距離だ。家賃はどちらも2000元弱、安くはないが、これもまあ許せる価格だろう。

それにしても、何十軒ものアパートを見て回っていて感心させられた。それらの多くがお世辞にも奇麗とは言えないことである。例えば、面積170平方メートルで場所も最高というのが見つかった。胸躍らせて行ってみると、5つの部屋の壁という壁に、小学校1年か2年と思われるこの家の息子が落書きしている。想像するところ、親はわが子に才能があると思って自由に落書きさせたのだろう。ここを借りようとすれば、家中の壁を塗り直さなければならない。1か月やそこらは掛かるだろう。もし、家主にそれをやってくれと言えば、間違いなく費用を家賃に上乗せしてくる。かえって高くつく。もちろん、ここは借りなかった。

借りた2軒のうちの1軒は、僕が南寧にいない間に、相棒の中国人の先生たちが見つけてくれた。立地や広さを評価して借りたのだが、当初、ここの汚さといったら「筆舌に尽くしがたい」ものだったとか。ゴキブリの死骸がいっぱい、ネズミのそれも転がっていて、掃除しながら何度も吐き気を催したそうだ。

この家主一家はなかなかに穏やかで、物分かりもいい人たちである。それでもこの有り様。一般に当地の人はアパートを貸す場合、きれいにして借主がすぐ住めるようにしてから、といった発想はあまりないようだ。一方、借主のほうもアパートを出る場合、「立つ鳥跡を濁さず」という気持ちはないみたい。ゴミだらけで出て行くそうだ。お互い様なのであろう。

それに、こちらのアパートは階段や廊下も奇麗とは言い難い。アパートの階段には下水道の修理業者とかのチラシがべたべた張ってあるし、壁にはわざとつけたと思しき靴跡がいっぱいだ。下の写真はわが塾の玄関を一歩出たところである。


まあ、いろいろあるけれど、とにかく引っ越しも終わった。下の4枚の写真はいずれも狭いながらわが塾の教室群である。それぞれの雰囲気にも何かと工夫?を凝らしている。でも、前回にも書いたように、最初の生徒は桂林からついてきてくれた子たちばかり。当地の生徒はやっと1人、2人と集まり始めた段階だ。依然、閑古鳥が鳴いているが、意気だけは軒昂である。