杖の効用

もう1年余りになろうか、外出の折には杖を持ち歩くようになった。なに、足腰がそれほど弱ったわけではない。最初は猿を撃退するためだった。桂林にいた時、塾の近くの七星公園にある山によく登っていた。頂上まで階段がついていて、その数550段余り。ほどよい運動だったが、途中で時々、放し飼いの猿に出くわした。猿が人間様に道を譲ってくれれば問題はないのだが、ここの猿はたちが悪い。逆に歯をむいてこちらに向かってきたりする。

そんな折、当方がしゃがみこんで石を拾う真似でもすれば、猿はすぐに逃げていく。でも、猿の前でいちいちしゃがむのもしゃくである。沽券にかかわる。そうだ、武器の代わりに杖を持つことにしよう。これがきっかけだった。

上の写真のような杖を2本、観光客相手の土産物屋で買った。何の木かは知らないが、直径2.5センチほどもある太い奴だ。ごつい節(ふし)もついている。もし猿に襲われても一撃でやっつけられるだろう。僕が買ったのはうち1本で、土産物屋のおじさんが25元と言うのを「私は観光客ではない。地元の人間(当地人)だ」と言い張って、13元(1元=12〜13円)に負けさせた。余談ながら、桂林でも南寧でも、こちらの商売人は地元の人間とよそ者とを―中国人であれ外国人であれ―露骨に差別する傾向がある。なめられないようにするのが一苦労であるが、後日、本物の当地人の生徒に2本目を買ってきてもらったら、なんと9元だった。

杖を持ち歩くようになって、こと猿だけではなく、自動車に対しても杖は効用があることが分かった。道路を渡る時である。こちらでは横断歩道を青信号で渡っていても、車は平気で突っ込んでくる。そんな折、杖をしっかりと握り「寄らば斬る」といった感じで小刻みに動かしていると、心なしか車も道を譲ってくれるようなのだ。悪く想像するに、車の運転手にとっては、人間をはねても車には傷がつかない。だが、太い杖で車を殴られたら傷がつく。それが怖いのではないだろうか。

バスに乗った時にも効用がある。満員のバスに杖を持って乗ろうものなら、たちまちにして若者から席を譲ってもらえる。杖を見た途端、若者たちは反射的に席から立ち上がる。あちこちから声が掛かる。公共の場でのマナーについては、同胞の間からでさえ批判のある中国人だが、老人など弱者に席を譲ることに関しては、まことに立派である。むしろ小細工を弄して席を譲らせる僕のほうにこそ、マナーの面で大いに問題がある。

最近、杖の効用がもうひとつ増えた。実は嫌なことがあった。下の写真を見ていただきたい。わが塾の玄関である。写真左上の黒くなっている所には「日の丸」があった。そこに黒くスプレーがかけられている。誰がやったのかは分からない。いつの間にか、こうなっていた。中国や韓国の国旗が被害を受けていないのを見ると、「反日」の人間の仕業だろう。

実は、これで3回目の被害である。最初は「日中韓」の国旗だけを玄関に張っていた。日本語、韓国語、中国語を教えるわが塾にちなんでのことだ。すると、ある日、日の丸だけが破られていた。そこで、前々回のブログでもお見せしたように、台紙に日中韓の国旗を張り「了解」「和平」なる言葉を並べた。ここで言う「了解」「和平」は中国語で、日本語で言えば、「お互いによく知り合えば、平和がやってくる」という意味だった。「犯人」に対する呼び掛けのつもりでもあった。これも台紙の隅が少しだけ破られた。2回目の被害である。恐らくもっと破ろうとしたのだけど、人の気配がしたので、途中でやめたのだろう。

そして、今回である。1回目と2回目、2回目と3回目の嫌がらせの間には2週間ほどの開きがあった。犯人はこのアパートの住人なのか、あるいは、時々このアパートにやってくる人間なのか、今のところは全く分からない。アパートの管理人には一応、伝えたが、ほとんど関心を示さない。警察に言っても同じだろう。自分で自分を守るしかない。

しかも、こんな嫌がらせを受けて僕も悔しいけど、犯人はもっと悔しい思いをしているだろう。つまり、日の丸をスプレーで汚された後、すぐ真新しいものに取り替えた。犯人にとっては、自分の行為が相手に通じない。悔しくて頭を抱えているはずである。ただ、その結果、手口がエスカレートしてくる可能性もある。生徒に危害が及ぶのだけは、なんとしても防がねばならない。

で、杖である。以前、明治時代の新聞を読んでいたら、代議士が壮士に襲われ、仕込杖で追い払ったという記事があった。仕込杖ではなく土産物屋の杖でも役に立たないことはないだろう。このところ、塾に出入りする際には、自分なりに神経を研ぎ澄まし、杖をしっかりと握り締めている。時代小説、剣豪小説の読み過ぎもあるのだろうか、何やら昔の「剣客」「用心棒」のような気分で塾の近辺を歩いている。