中国人の脚力 僕の脚力

この正月は重慶で過ごした。重慶は中国での住まいがあった広西・梧州から飛行機で北方に2時間弱、周辺も含めると人口3000万を超える大都会である。元日の夜、大河に面したビル4階のレストランで大好物の羊肉のしゃぶしゃぶを楽しんだ。梧州から同行してくれた教え子の女性と、やはり教え子でいま重慶で働いている女性、それに彼女の恋人が一緒だった。大河には満艦飾の遊覧船が行き来している。

食事が終わると、重慶在住の二人が「このビルの一番上の11階に上がって、もっと夜景を見物しましょう」と言う。「ああ、いいね」と答えたものの、二人の次の言葉は「エレベーターは混んでいるので、階段を上ります」。エッ、4階から11階まで歩いて・・・と、一瞬ひるんだものの、「嫌だ」と言うのもみっともない。

階段は二人がやっとすれ違えるほどの幅で、上からどんどん人が下りてくるし、下からもかなりの速度で人が押し上げてくる。自分だけがゆっくり歩くわけにはいかない。踊り場は狭くて休憩もできない。結局、息を切らしながら、4〜11階の7階分の階段をなんとか上り切った。心臓がどきどきしている。

ちなみに、重慶は山がちの都会で、従って坂や階段も多い。さっきの4階のレストランには大河沿いの1階の「地面」から入ったのだが、11階に上がってみると、そこもまた「地面」で、車が行き来している。ビルは急斜面に沿って建てられ、1階も11階もともに出入り口になっているのだ。

それはそれとして、この日、僕は階段の途中で立ち止まることはなく、教え子たちの前で恥をかかなくて済んだ。それは梧州での住まいがエレベーターのない6階にあって、これを毎日、上り下りしていたおかげかも知れない。しかも、こちらでは1階部分は勘定にいれないので、梧州の住まいは実質7階、重慶での体験と同じ階数である。

一般に中国では8階ぐらいまでのアパートにはエレベーターがない。エレベーターなしの10階建てアパートもわが家のそばにあった。最上階にもちゃんと人が住んでいる。そんな生活環境のせいもあるのだろうか、この地の人たちはおおむね健脚ぞろいのような感じがする。

重慶にはとても及ばないものの、梧州も街中には小高い山が多く、頂上まで道路や階段が通じている。その中で僕がよく歩きに行ったのは、頂上に気象台がある高さ100メートルほどの山。階段だと500段以上あってやや手ごわいので、もっぱら写真のような坂道を上っていた。一見、急ではないようだが、そうでもなく、車がスリップしないように、鉄の蝶番(ちょうつがい)状のものが道路に打ち込んである。地元の老若男女がよく歩きに来ている。

ところで、悔しかったのは、坂道を上る速度が僕より遅い人には、あまりお目に掛からなかったことだ。20歳代、30歳代の連中ならまあ仕方がないが、60歳代、70歳代と思しきおじいさん、おばあさんが後ろからすたすたと僕に近づいて来て追い抜いて行く。僕は坂の途中で1回は休憩するのだが、そんな人も全く見掛けなかった。

ある時なぞは、僕を追い抜いたおばあさんに頂上で会ったら、柵に片足を掛け、それこそ股を180度近くに開いて柔軟体操をやっていた。そう、脚力があるだけではなく、体も随分と柔らかいご老体にこの地ではちょくちょく出くわした。

唯一の自慢?だったわが脚力の衰えを実感させられた今回の中国滞在だったけど、僕だって普段、のほほんとしているわけでは決してない。もう1年近くになろうか、外出時には写真のような錘(おもり)を両足首につけて歩いている。もちろん脚力をつけるためで、重さはそれぞれ1キロある。金属の粉のようなものが中に入っているみたいだ。

まだサッカーを熱心にやっていた四半世紀ほど前にも、同じものをつけていた。いつの間にかやめてしまったのだが、80歳で3度目のエベレスト登頂に成功したプロスキーヤーで登山家の三浦雄一郎さんがこれを使って鍛錬していると聞き、真似して再びつけ始めた。値段は4000円近くした。

ところが、これまではいささか真面目でなかった。例えば、自宅から電車の駅まで1キロ余り、これをつけて歩いて行く。それはそれでいいのだが、その後は「もう十分に鍛錬したのだから」と自分に言い訳して、わずか40段ほどの階段を避けてエスカレーターのお世話になったりしていた。錘は中国にも持って行かなかった。

昨年11月から足掛け3カ月住んでいた中国から先月、帰国した。これからは階段も坂道も両足首に錘をつけて上り、老体を鍛え直していこう。一応はそう決心している。