続・満身「軽」痍 五十肩で「鬱」と「躁」

年甲斐(!?)もなく、僕が「四十肩・五十肩」になったことは前回に書いた。これまで四十肩・五十肩で苦しんでいる方にはかなり会ってきたが、「肩凝りに毛が生えたくらいだろう」と、それほど同情はしてこなかった。だけど、いざ自分がそうなってみると、決して簡単なものではない。「毛が生えた」どころではない。

例えば、朝、起きる。寝床から起き上がる時の苦闘については前回に記したが、そのあとパジャマを脱がなくちゃならない。まずは椅子に腰かけて、これに取り掛かる。だけど、両方の肩が痛くて、もう少し詳しく言うと、肩甲骨のあたりがとりわけ痛い。そして、両方の手が上にあまり上がらない。脱ぎ終えるまで四苦八苦する。

次には、昼間用のシャツを着なければならないが、これもまた大変。四苦八苦が二乗になった感じがする。でも、なんとかして着終える。すると、表と裏を逆にしていたことが分かったりする。もう何をするのも嫌になる。椅子に腰かけたまま、20分、30分……ぼんやりとして時間を過ごす。まあ、一種の「鬱」状態であろうか。何ごとにも能天気で、悩むことなんてない僕が、こんな状態になるのは初めてである。

僕は以前、介護の初任者研修を受けたことがある。その時、着替えの介助の基本は「着患脱健」だと習った。今でもよく覚えている。体の片側にまひがある場合は、着る時はまひしている側(患側)から、脱ぐ時はまひしていない側(健側)から始める。そうすると、着替えが楽にできるというのだ。確かにそうなのだが、それは体の片側だけがまひしている場合であって、僕の五十肩のように、まひではないけど、両方の手が上げられない状況では、「着患脱健」も全く役に立たない。

着替えが終われば、顔を洗い、髭も剃らなければならない。なんとかそれらを終えたら、次は、コンタクトレンズを目に入れる。僕はもう60年以上もコンタクトレンズを使い続けている。着脱には随分と慣れているはずである。ところが、着替えや洗顔で結構いらいらしていたのだろう。心ここにあらず、といった状態だったのか、レンズをつい乱暴に扱い、片一方を排水管に流してしまった。すぐレンズのメーカーに電話して、新しいのを注文したけど、朝っぱらから、五千円の損害である。「貧すれば鈍する」という言葉が頭に浮かんだ。

もちろん、こんな日ばかりではない。これも前回に書いたけど、近くの整形外科医院に行って、両肩の肩甲骨あたりに注射さえしてもらえば、痛みはたちまち雲散霧消する。ルンルン気分になる。今度は「躁」の状態がやってくる。ただ、そういつも注射ばかりしているわけにはいかない。整形外科医院の老先生は「注射は多くて1週間に1回」とおっしゃる。一方、注射が効いているのは5日間くらいだ。おかげで僕は今のところ、毎回同じではないけれど、おおむね「1週間のうち5日間が躁、2日間が鬱」といった感じで過ごしている。

世の中には、躁と鬱を繰り返す「双極性障害」という病気がある。かつては躁鬱病と呼ばれていたやつで、僕の古い友人にもそんなのがいる。躁と鬱の期間はそれぞれもっと長いだろうけど、この病気の人たちもこんな気分を味わっているのだろうか。

五十肩で悩んでいるお方は、世の中にどれぐらいいらっしゃるのか。そして、治療してくれるところは? ネットで「五十肩」と検索すると、わが家からもそう遠くない整体院・接骨院の広告がいっぱい出てきた。そして「大人気……年間3万人が来院」「嘘みたいに根本改善」「その五十肩 改善します。施術実績50万件」などなど…頼もしそうな宣伝文句が並んでいる。だけど、僕がこうしたところに行った経験からすれば、失礼ながら、どうも嘘っぽい。信用できない。行く気にはならない。

ところで、サッカーの日本代表がワールドカップで求めた「新しい景色」じゃないけれど、僕は今、「日替わりの躁と鬱」とでも言うべき新しい景色に遭遇している。別に楽しくはないが、鬱から躁に切り替わった時は爽快である。注射の効果が切れだし、躁があと1日でも長く続いてくれないかなあ、と思っている時は緊張感がある。当分は覚悟を決めて、これとお付き合いしていくつもりである。