数字に「強い」人たち

自宅近くの市場の八百屋で大根とトマトを買った。八百屋といっても、地べたに商品を並べた程度のお店だが、おじさんはなかなかに威勢がいい。愛想もいい。
「大根1.1元(1元≒15円)にトマト3.2元、合わせて4.4元だ。ありがとうよ」
「エッ、4.3元じゃないの?
「あっ、そうか、4.3元だった」

単なる計算間違いか、それとも故意か。どうも前者とは思えない。何しろ、僕の知っている限りでは、中国人は一般に計算が速くて正確だ。それなのに、さっきの八百屋でのようなことがちょくちょくある。

カレーを作ろうと、ジャガイモ、ニンジン、タマネギを買った時のこと。「ジャガイモ2.8元、ニンジン1.3元、タマネギ2.1元、合わせて7.2元」と、これは元気なおばさん。最後の桁の「2」は合っている。でも、正しくは7.2元ではなく6.2元だ。最後の桁に客の注意を集中させ、その上の桁でごまかす高等テクニックかも知れない。これをおもむろに指摘すると、おばさんは「わたし、頭が悪くてねえ」と笑い飛ばした。

でも、これらはまだ可愛げがある。もっとずるいのにも出くわす。おじいさんから鶏卵8個を買った時のこと。「8元」だと言う。1個1元だ。鶏卵はどこでも1個0.5元で、1元なんてありえない。おじいさんにそう言うと、「いいよ」としぶしぶ4元を受け取った。外国人と見てふっかけたのかも知れない。

街中で天秤棒に野菜を担いで売り歩いているおばさんに会った。なかなかに新鮮そうなので、値段を聞くと1束0.5元だと言う。1束を求め、1元札を渡すと、0.4元しかお釣りをくれない。あと0.1元を要求すると、「野菜は0.6元だ」と怖い顔をする。品物をお返しして、1元札も戻していただいた。

市場で、レンコンの穴にせっせと水を入れているおばさんを見掛けたこともある。重さを増やすためだろうが、思わず噴き出しそうになった。おひたしを作ろうと、ホウレンソウの束を買ったら、中に縄が入っていたこともあった。これも重量増が目的だろうが、こいつには少し腹が立った。

この種の話は市場でのことに限らない。昨年夏、それまでいた大学の宿舎を出て、アパートを探していた時のこと。塾近くの新聞スタンドのおばあさんが「私の持ち家で、家賃が月200元のいいのがある」と言うので、ついて行った。1部屋だけだが、まずは清潔そうで、寝るだけなら十分だ。ここを借りることにし、おばあさんにその旨を伝えると、「じゃあ、家賃は月に220元」と言う。
「エッ、さっきは200元と言ったでしょ?」
「あれは別の部屋の話。ここはもとから220元なんだよ」
月に20元、つまり300円くらいはどうってことないけど、どうも不愉快だ。借りるのはお断り申し上げた。

こういった、相手の足元を見透かしたようなやり方に怒っているのは、僕だけではないみたい。北のほうから来た中国人が桂林でマンションを買った。その受け取りに不動産業者のもとへ出向いたところ、身分証明書から各種領収書、それにキャッシュカードの表と裏まで30枚ばかり「必要です」と言ってコピーを取られた。キャッシュカードの裏側がなんで必要なのか、さっぱり分からない。それでも1枚0.3元。街中の安いコピー屋だと、1枚0.1元だ。それを、自分のところのコピー機を使いながら、3倍にも吹っかけてくる。

「生き馬の目を抜く」と言うには、いささかスケールが小さくて、せこ過ぎるけれど、こちらの人たちの小銭に対する執着といったものには感心させられる。一昨年までいたハルビンでなら、八百屋で例えば5.2元だと、黙っていても「5元でいいよ」と負けてくれた。こちらではそんなことはまず考えられない。ハルビンにもせこい人はいるだろうけど、北と南――おカネに対する執着心は随分と違うみたい。でも、おかげで、僕の金銭感覚もけっこう鋭くなりつつあるようだ。