たくましき生き物たち

朝、トイレに行くと、便器に『ごきぶりホイホイ』が逆さまになって転がっている。部屋の片隅に置いていた奴だ。アレ、夜中に僕が寝ぼけて、ここに置いたのかなあ? でも、変だなあ? 昨夜はそんなに酔っ払っていたわけでもないし・・・。 ちなみに、桂林のわが家のトイレは中国式――和式トイレから金隠しをはずしたような奴である。そこからひょいと『ごきぶりホイホイ』を取り上げると、中から手の親指くらいのでっかいゴキブリが顔を出した。

「ギャーッ!」

僕も一応は男の子だけど、こんなのには弱い。でも、頑張って『ごきぶりホイホイ』をつぶさに眺めた。家の形をした紙製のこの装置は、「家」の中にある好物のにおいにつられてゴキブリが中に入った途端、床のネバネバに脚を取られ、逃げられなくなる仕掛けになっている。ところが、このゴキブリ君の場合、片側の脚こそネバネバに引っ掛かったが、他方は無事だった。そこで「片肺飛行」で、しかも「家」を担いだままで脱出を図り、便器の穴にまでたどり着いたものらしい。なるほど便器の穴が連中の出入り口だったのか。その奮闘努力には敬意を表するが、ここは紙の家ごと踏み潰して、成仏してもらった。

また、ある朝。冷蔵庫の上に置いていた即席の味噌汁に手を伸ばすと、ミミズのようなものが具の袋の中から出ている。こわごわ引っ張ってみた。

「ギャーーッ!!」

ネズミが1匹、具の袋の中に体をすっぽり入れたまま死んでいる。ミミズと見えたのは、ネズミのしっぽだった。あとどう処置したのかは覚えていない。ネズミは具を食いすぎたために死んだのか? 袋の中での窒息死か? あるいは、毒ギョーザみたいに具の中に何かよくないものでも入っていたのか? ならば、人間にとってもよくないはずだ。即席味噌汁は日本製である。だが、あまりの恐怖に原因を追究するのを怠ってしまった。以後、とりあえず即席味噌汁を飲むのだけはやめている。

また、ある朝。机の上にあった「青汁」の袋がかじられていた。青汁は日本でのかかりつけの医者から「目にいいうえ、酒飲みにはバッチリ」と薦められて飲んでいる。ケールという野菜を粉末にした奴だ。その隣に置いていた「降圧剤」もかじられ、粉末が散らばっている。ゴキブリの仕業か、はたまたネズミか。連中にも呑み助や血圧の高い奴がいるのだろうか。

また、また、ある朝。『ごきぶりホイホイ』そのものがかじられ、紙つまり家の形をした容器の切れ端が部屋の床に散らかっていた。「家」の中を覗くと、ゴキブリを呼び寄せるための「強力誘引剤」と称するものが消えている。製品の説明書きによると、この誘引剤は「えび、ビーフ、キャベツにオニオン」などゴキブリの好物のにおいがするもので、このにおいをかいだゴキブリは「つられるようにホイホイ、ハウスの中へ」とある。そして、死んでいくのだ。だが、誘引剤そのものが消えているということは、つまり、やっつけようとして逆にやっつけられたわけだ。「返り討ち」に遭ったようなものではないか。近くに置いていた別の『ごきぶりホイホイ』も同様の被害に遭っている。

先日、たまたま帰国した折、『ごきぶりホイホイ』のこの残骸ふたつを持って、製造元の「アース製薬」に乗り込んだ。相手をしてくれた広報のナントカさんはちょっと驚いたようだったが、「さっそく研究所で調べさせます」とのこと。しばらくして『ごきぶりホイホイ』をかじったのは「ネズミの類の動物によるものではないかと推察されますが、何の動物かまでは特定できませんでした」という返事が来た。ご面倒をおかけしましたね。でも、犯人はゴキブリではないので、当社の責任ではありません、といった感じの文面でもあった。

ごきぶりホイホイ』についている「強力誘引剤」はゴキブリだけではなく、他の動物も引きつけるということだ。そうかと言って、ネズミ類に食い荒らされるようでは『ごきぶりホイホイ』としての役割を果たしていないのではないか。メーカーの責任を追及するつもりは毛頭ないのだけど、製品のさらなる改良に向けた決意の一端でも、聞かせていただきたいところだった。

いや、いや、文句は言うまい。「北」のハルビンにいた時は、この『ごきぶりホイホイ』は十二分に働いてくれていた。それこそ、面白いように「ホイホイ」だった。学生に分けてやると、そのうちにまたやってきて「先生、ほら、あれ・・・ホイホイはまだありますか」と、ねだられたものだった。だが、亜熱帯の「南」のこの地では、ゴキブリにしろネズミにしろ、理由は分からないが、「北」に比べてずっとたくましいのだろう。わが『ごきぶりホイホイ』の敵にしては強すぎるのかも知れない。何しろ中国は広いのである。