中国人の識別能力

朝まだき桂林市の七星公園。わが家から歩いて30分ほどの所にある大きな公園だ。中には北斗七星の形で7つの山が並んでいる。公園の4つの入り口からは老若男女が続々と吸い込まれていく。入れ替わりに出てくる人も多い。

この七星公園は桂林市の観光スポットのひとつで、入場料を35元(1元≒14円)、ごく最近また値上がりして43元も取る。ただし、地元の人に限って午前6時から8時までは無料で入場できる(60歳以上はもともと無料)。この時間帯に公園にやってきて、階段が500段ほどの山に登ったり、太極拳、ダンス、バドミントンに興じたりする人は、ざっと見たところで毎日1000人、多い日だと2000人やそこらにはなるのではないだろうか。

4つの入り口には係員が1人か2人、立っている。地元以外の人間が無料で入るのを防ぐのが役目のようだ。それなら、中国人の誰もが持っている身分証を提示させればよさそうなものだが、そんなことはしない。みんないわゆる「顔パス」である。でも、こんなにたくさんの人間の顔を係員がいちいち覚えているはずがない、多分、入り口に立って監視するふりをしているだけだろう、何しろ中国人は大雑把なのだから――以前はそう思っていたのだが、あにはからんや、ちゃんと見ているみたいなのだ。

少し前のこと、僕に続いて5歳くらいの男の子とその母親らしき女性が公園に入ってきた。さらに、その後には祖母と思われる女性。ところが、先頭の2人はすんなりと入場できたのに、祖母らしき人は係員に止められている。彼女だけは地元の人間ではないので、無料入場を断られたみたいだ。なにやら押し問答の末、3人は引き上げて行った。桂林に嫁いだ娘とその子を田舎から訪ねてきた祖母といった感じだった。地元ではないと言っても、どうせ桂林近郊のどこかの村の人だろう。入れてあげてもいいと思うのだが、係員は見逃さない。

欧米人が早朝の無料入場を断られているのを見かけたこともあるが、これは地元の人間ではないことがすぐ分かるから、当然だろう。でも、似たり寄ったりの中国人の中から地元とそれ以外を瞬時に見分ける能力には感心してしまう。

僕は桂林にもう2年以上住んでいるし、警察にも住所を届けているが、所詮は地元の人間ではない。で、公園に入るのに定期券を買っている。余談だけど、七星公園の入場料が1回35元の時に買った1年間の定期券代は30元。しかも、桂林市内にある他の7つの公園や植物園にも入れる。1か所の1回の入場券代より計8か所の1年間の定期券代のほうが安いとは、なにか不思議な気がする。

それはそれとして、この定期券も最初に1度か2度、提示しておくと、その後は見せる必要がない。顔を覚えてくれている。早朝でも昼間でも「顔パス」である。ごくたまに止められることもあるが、これは異動で新しく来た係員に出くわしたからのようだ。この公園に「顔パス」で入れる外国人は、おそらく僕ひとりだけではないか。なにやら誇らしい気にもなってくる。

どうやら中国人の「識別能力」といったものは、日本人一般よりも優れているのではないか。そう思うのは僕が人一倍、他人の顔を覚えるのが苦手で、何十年も住んでいる埼玉県の自宅でも、近所の人たちの顔を十分には覚えられないからかも知れない。でも、そのせいばかりではないようだ。

たまにしか行かないクリーニング屋でも感心させられる。こちらのクリーニング屋ではいちいち「受取証」なんてものをくれない。請求すればくれるのかも知れないが、そもそも「受取証」を渡そうなんて発想がないみたいだ。それでもまず間違いがない。クリーニングに出した翌日か翌々日に黙って店頭に立つと、僕の預けた奴がスーッと出てくる。これはハルビンにいた時も同じだった。ごくたまにしか行かないスーパーでも、あるいは市場の八百屋でも、似た経験をする。以前に何度か買ったことのある「アイス」を、僕が何も言わないのにスーパーの女店員が「これでしょう?」と言って出してきたり、何か月か前にバナナを買ったのを覚えていたのか、八百屋で「今日はいいバナナがあるよ」と言われたりする。とにかくよく顔を覚えているようなのだ。

「中国人は一般に他人に対する警戒心が強いから、他人の顔を覚えるのが早いのかも知れません」。友人の中国人はそう解説してくれる。話は飛ぶけど、以前、七星公園で僕の行く手を邪魔した放し飼いのサルを、石を投げる真似をして追い払ったことがある(9月1日付「動物たちとの付き合い方」ご参照)。それ以後、サルたちとの関係がどうもよくない。サルの顔を識別する能力は僕には全くないが、連中は僕が分かるみたい。遭遇するたびに、歯をむきながら向かってくる。仕方なくまた石を投げる真似をする。この地では、人間様だけではなく、サルたちの識別能力も結構なもののようである。