当てにならない人たち

中国から日本に帰るたびに会っている在日の中国人夫婦がいる。僕よりずっと若くて、IT関連の事業を営んでいる。なかなかに教養があり、絵も字も実にうまい。印鑑を彫ってもらったし、自作の掛け軸をもらったこともある。もう十数年の付き合いだ。同じ埼玉県の住人でもある。

前回、帰国した折にも会うつもりだった。たまたま僕と相前後して、わが東方語言塾で相棒の中国人の先生が日本にやってきた。その紹介がてら一緒に会おうと思った。で、少し早めに「何月何日夕方、そちらに行きたい。一緒に食事をしよう。僕が奢る。ご都合は?」とメールしておいた。ご丁寧にも夫婦それぞれから「その日はOKです。楽しみにしています」と返事が来た。

約束の日の前日、確認のため彼に電話した。電話口の彼の様子がおかしい。「えっ、明日でしたか? もっと先じゃなかったですか? 今、車で大阪へ行く途中で、名古屋の近くを走ってるんです」。彼の妻も一緒だ。数日は戻ってこないと言う。二人ともたった3週間ほど前の約束を忘れている。

その時、僕の周りには家族と相棒の中国人の先生がいた。あとで娘が「父さんが電話口であんなに怒っているのを初めて見た」と言っていた。相手を怒鳴りつけたのかも知れない。電話を置いてからも怒りが収まらなかった。「だいたい中国人っていうのはいい加減だ。まったく当てにならない。平気で約束を破る。僕の反省点と言えば、約束の前日ではなく、数日前に確認の電話を入れなかったことだ。連中がいい加減な中国人だということを忘れていた。ほんとに中国人は・・・」。

今度は中国人の先生が怒り出した。「中国人、中国人って言わないでください。中国人がいい加減なのではありません。その二人がいい加減なのであって、たまたま二人とも中国人だったというだけです。日本人にだって、いい加減なのが掃いて捨てるほどいます」。まったくの「正論」である。僕は彼女に謝った。

この10月31日、わが塾は近くのホテルで「ハロウィン・パーティー」を開いた(写真)。貧乏塾には不似合いな場所だったが、「微笑堂」という地元の日系デパートに資金面などで何かと応援してもらった。参加者は僕や塾の生徒ら40人ほどに、その知人、友人、両親らを加えて70人ほどの予定だった。「かなりの大パーティーだなあ」と僕がつぶやくと、例の中国人の先生は「なに、中国人のことだから、連絡もなしに来ないのが結構いるはずです。いい加減ですから・・・」と言う。先般、僕が彼女を怒らせたのと同じせりふである。

案の定、当日、連絡なしに欠席した中国人が10人ばかりいた。「必ず」出席しますと言っていた人でさえ、そうだった。塾の生徒にはさすがにそんなのはいなかったから、塾生以外の人たちの「無断欠席率」は3割ほどにもなる。

パーティーでは「プレゼント交換会」なるものもやった。全員がそれぞれ用意したプレゼントを手に大きな輪になり、音楽に合わせてプレゼントをぐるぐると回す。音楽が止まった時に手にしていたのが「あなたへのプレゼントです」という趣向だ。いささか子供っぽい余興ではあるが、参加者それぞれにはあらかじめ「お一人5元か、せいぜい10元(1元≒13円)程度のプレゼントを用意してきてください」とお願いしておいた。

ところが、出席してくれた外部の人たちのうち十数人が「忘れました」。そんなこともあろうかと、当方で予備のプレゼントを十数個、用意しておいた。それがすっかりなくなった。

パーティーに限らず、約束したのにやってこないなんてことは、当地ではまさに日常茶飯事である。先日も夜6時に大学生の男の子、7時に地元の会社社長がわが塾にやってくることになっていた。二人とも以前からの知り合いで、大学生はこちらが呼んだのだが、会社社長は向こうから「お邪魔したい」と、前日に電話があった。結果は、大学生は来なかった。後で聞くと「忘れました」とのこと。会社社長からは10時過ぎに電話があり、「用事があって遅くなった。今、そちらに向かっている」とのこと。「もう遅いから」とお断りした。

また、某日。韓国語を習いたいと、大学生の女の子二人がやってきた。そして「その前に授業を見学したい」と言うので、いつ何時に、と約束した。だが、当日やってこなかったし、以後、何の連絡もない。

中国人のことばかり書いてきたが、当地では日本人も同じみたいだ。マンツーマンで中国語を習いたいとやってきた桂林在住の日本人の老人がいた。その最初の授業の日、ずっと待っていたが、いっこうに現れない。以後、何の連絡もない。多分、授業料が惜しくなったのだろう。同胞のよしみで言えば、当地の癖がうつってしまったのかも知れない。

最初に書いた日本での話では、僕もつい怒ってしまったけど、こんなのにいちいち腹を立てていては体がもたない。相手に文句を言っても「没辦法(メイバンファー)」つまり「仕方ありません」と言われ、もう一度、腹を立てるだけだろう。「約束が守られるかどうかは五分五分」と思って、のんびりと構えているに限る。おかげで当方もだんだん気が長くなってくる。長生きも出来るというものだ。