観光客の皆さん、日本語の普及にご協力を!!

桂林は国際的にも有名な観光地であるから、外国人の旅行客が多い。当然、日本人もよく見かける。ホテルは日本語のできる従業員がぜひ欲しいはずだ。そう考えて「わが東方語言塾で従業員に日本語を勉強させませんか」と、ホテルに持ち掛けることがある。だが、ホテル側の反応はおおむね冷たい。

「日本語? うちは日本語なんて、ほとんど必要ありません」
「でも、おたくも日本人客が結構いるでしょ? ほら、ロビーのあそこにいるのも日本人じゃないですか」
「そうですけど、日本人はみんな団体客で、日本語のガイドがついています。日本人客とはガイドを通して話せばいいんです。日本語が分かる従業員なんて要りません」
「・・・」
「その点、欧米人は個人でやってくる人が多いですから、英語の分かる従業員はもっと欲しいですね」

そう言われてみれば、確かにそうかも知れない。わが塾のそばに七星公園という大きな公園があり、観光客にとって「定番」みたいになっている。この公園を散歩していて出会う日本人観光客は、必ずと言っていいほどにガイドに連れられている。2〜3人の場合でもそうだ。

一方、欧米人はと言えば、ガイド付きの団体客はあまり見かけない。2〜3人から5〜6人でガイドブックを頼りに歩いている。この公園の中には階段が550段ほどのちょっと険しい山があり、頂上からは桂林市内が見渡せる。その眺めが好きで、僕もしょっちゅう登るが、ここはガイドが引率する場所には入っていない。従って、ガイド頼みの日本人を見かけたことは一度もないが、欧米人はよく登ってくる。かつては世界中を侵略して回った欧米人――さすがに日本人ごときとは心掛けが違うわい、と変なところで感心してしまう。

もっぱらガイドに頼っていると、ホテルだけでなくあちこちで日本語が冷遇されてしまう。桂林の街中からもそう遠くない所に「冠岩」という鍾乳洞がある。洞窟の中を「電車」や「船」も走り、ちょっとしたものだ。日本人観光客も多いはずなのだが、洞内の表示は中国語、英語、それに韓国語だけ。そう言えば、韓国人も個人客が割合に多いみたいだ。

わが東方語言塾は日本語、韓国語、中国語を教えているが、なんと言っても日本語が中心だ。そして、日本人の皆さんがどう思っているかは知らないが、日本語は美しい言葉である。テープなどから流れる、その響きに魅せられて日本語を勉強し始めた――そう言う中国人の若者を、僕は何人も知っている。そんな日本語をもっともっと普及させたい。

日本語を始めて1年ほど、20歳を過ぎたばかりのわが塾の女性。アパートを友人と共同で借りているが、その友人から「あなた、最近、ずいぶんと上品になったわね」と褒められるようになった。思うに、例えば窓を開けてくれるよう友人に頼む時、以前は「開窓」(注:現在の中国語の字は日本語とは違う)とだけ言っていた。敬語に類するものは何もないが、中国語では普通の言い方だ。でも、日本語では「窓を開けてください」と、丁寧な言い方をする。「開窓」では「窓を開けろ」と、けんか腰の話し方ではないか。そこで、中国語の時も「・・・してください」に当たる「請」をつけて「請開窓」と言うようになった。これが友人を「あなた、上品に・・・」と驚かせたようだ。日本語は人間のレベルをも上げてしまうのである。

さっきの七星公園の山に、わが塾で相棒の中国人の先生が生徒2人を連れて登った時のこと。頂上には欧米人の男女6人がいた。相棒の先生は軽くあいさつをしようとして連中を見たら、実に冷たい目をしている。そして、相手はすぐに目をそらせてしまった。

まあ、それはそれで仕方がない。その後、中国人の女性3人は日本語でおしゃべりを続けた。勉強を兼ねてのことだ。すると、欧米人の男女がやおら近づいてきて「ニッポンジン?」と聞く。あいまいな返事をしていると「ドコカラ?」「トウキョウカラ?」などと、さっきとは打って変わった親愛の情を示し始めた。揚げ句は、みんなで記念撮影までした。「まさに複雑な気持ちでした」とは、彼女たちの感想だ。

結論を言うと、日本人は旅行先でもできるだけ日本語を使ってほしい。もちろん、例えば野菜市場のおばさんに日本語で話しかけても仕方のないことだろうが、日本人の客がよく来るホテルなんかでは、堂々と日本語でまくし立ててほしい。「日本人の客はガイドを通して・・・」なぞと言わせないでほしい。相手は日本人客から儲けようとしているのだから、当然、ちゃんとした対応をすべきだろう。

そうなれば、わが塾にやってくる生徒ももう少し増えるかもしれない。いや、そんな枝葉末節のことではなく、それは世界における日本語の「地位」を高めるためにも必要なことである。異国で日本語を教えていると、どうも「愛国」の感情が高ぶってきてしまう。