恐怖の「赤い爆弾」

わが塾の生徒のひとりを仮に陳さんとしておこう。ある日、その陳さんに王という人から電話が掛かってくる。ともに、20歳代の女性だ。

「もしもし、陳さん? お久しぶりね、私、王よ。懐かしいわぁ」
「エッ? 王さんって?」
「あら、いやよ、忘れちゃ。ほら、高校の同級生の・・・」

陳さんは嫌な予感がした。彼女とはもう長い間、会っていない。特に親しい間柄でもない。音信不通だったのに、自分の電話番号をどうして知ったのだろうか? 予感は当たった。

「あのね、私、今度結婚するの。披露宴にぜひ出席してほしいの。きっとよ、お願いね」

出席したくはないが、断るのも難しい。出席すれば、少なくとも100元(1元≒13円)はご祝儀を包まなくてはならない。披露宴の経費なんて、ひとり当たり30元かそこらだ。中国には引き出物なる習慣もないから、相手は差し引き70元が儲かる。それが狙いで、親しくもない陳さんに声を掛けてきたのだろう。当地ではよくあることだ。

こういうのを、こちらの人たちは「赤い爆弾」と呼んでいる。上の例は電話でのお誘いだが、正式に招く時には赤い封筒に招待状を入れるから、こう呼ばれている。最近は「罰款単」とも呼んでいる。日本語で「罰金切符」といったところか。交通違反の切符のように、どこでいきなり遭遇してカネを巻き上げられるか分からない。そんなところから来た呼び名だろう。めでたい披露宴なのにまことに味気ない命名だ。それだけ恐れられているということだろうが、先日、河南省から来た人に聞いたら「我々は『高価飯』と呼んでいます」とのこと。こちらはなかなかに含蓄のある言葉ではある。

ご祝儀の100元は日本円にして1300円ほど。大したことはないと思われるかも知れない。が、わが塾の生徒たちは家賃も入れて月に500元、600元、どんなに多くても1000元以下で過ごしている。100元は結構な大金である。そう簡単に出席OKというわけにはいかない。

もっとも、いきなりの披露宴への誘いだと、なんとか出席を断れるかも知れない。だから、誘うほうもいろいろと知恵を絞ってくる。「曲球」を投げてくる。例えば「久しぶりに会って旧交を温めましょうよ。安いお店だから、私が奢るわ」と、学生時代の友だちを呼び集める。結婚の「け」の字も言わない。そして、わいわい騒いで、そろそろお開きのころ、「奢る」と言っていた友だちが「素晴らしいニュースがあります」と立ち上がる。「私、結婚します。披露宴は○月○日、どこそこで。皆さん、ぜひ出席してください」。もう逃げられない。ご馳走になった手前、祝儀も200元は包まないと格好悪いだろう。エビでタイを釣られてしまった。

だけど、結婚の披露宴だけならまだいい。一生に一度(?)のことかも知れない。しかし、結婚すれば普通、子供が生まれる。すると、生後1か月のお祝いの宴なるものが、またレストランで開かれる。「満月酒」という。今度も100元は包んでいかなければならない。主催者は出席者ひとり当たり70元か80元が儲かる。披露宴と同じく、そいつが狙いである。

でも、それが結婚して1年後あるいは2年後ならまだいい。ところが、こちらの結婚は「できちゃった婚」がやたらに多いとか。結婚披露宴が終わったと思いきや、数か月後には満月酒ということにもなりかねない。

同僚の披露宴に200元を包んだ後、すぐに満月酒に遭遇した女性がいる。あんまりじゃないの。少し腹がたった。そこで、さんざ考えて「60元」で済ますアイデアに思い至った。「六」は中国では縁起のいい数字だし、同じ発音で縁起のいい漢字もいくつかある。だから、お子さんが順調に育ってくれるように、との願いを込めて60元・・・。ただし、自分ひとりだけ60元では具合が悪い。自分と同じように披露宴に出て、満月酒にも出る羽目になった同僚たちに持ち掛けてみた。みんな二つ返事でOKだった。攻めるほうも守るほうも、知力を尽くして丁々発止。日本人には真似のできない芸当かも知れない。

ところで、以上の話を教えてくれたのは、みんなわが塾の女性たち。聞きながら大笑いしていたが、よくよく考えると、彼女たちはいま独身だから、もっぱら「被害者」である。が、いずれは赤い爆弾を撒き散らす「加害者」に転じるのではないか。とすると、その暁には僕も間違いなく「被害者」のひとりだろう。笑ってばかりいるわけにはいかない、腹を括っておかねば・・・。