ヤミの両替

まずは、地震のお見舞いを申し上げます。

わが塾のすぐ近くにある「中国銀行」の支店へ両替に行った。所定の用紙に必要事項を書き込み、椅子に座っていると、普段着のおばさんが寄ってきて、しきりに話しかける。ヤミで両替しないかと勧めているようだ。ヤミなんて本来はお断りだが、どんなふうにするのか、興味もある。ちょうど塾の生徒がついてきていたので、通訳してもらった。

おばさんが言うには、窓口で両替すれば、今日のレートだと1万円が772元だが、私なら780元を払う、10万円両替するなら、80元もお得だとのこと。日本円にすれば1000円かそこらの金額だが、こちらではちょっとしたおカネだ。例えば、僕の好きな羊肉の鍋をビール代込みで、しかも2〜3人で満腹できる。銀行のレートは今日「1万円=772元」というのも嘘ではない。

そこへ、銀行の玄関にいた警備のおじさんが寄ってきた。てっきり「銀行内での不正行為は許さない」と注意するのだと思った。ところが、おじさんはにこにこしながら「この人に両替してもらうと得ですよ」と、ヤミを勧める。警備の人間がそんなことをしていいのだろうか?

でも、やっぱりヤミは嫌だ。僕はあくまで清く正しく生きていきたい。それに、偽札だって心配だ。もし、1枚でも100元の偽札が交じっていたら、得した80元はパーになってしまう。とにかく、中国では偽札が多い。スーパーでもレストランでも100元札や50元札を受け取った時には、偽札でないかどうか、しつように調べるのが普通だ。

僕がそんな心配を口にすると、おばさんは「絶対にそんなことはない」と胸をたたく。だって、おカネは銀行の人間に払わせるのだから、偽札が交じったりするはずがない、さあ、いっしょに窓口に行きましょう。ヤミなのに、なんで窓口に行くの? 狐につままれたような気になりながら、おばさんについて行った。

以後の手続きはこうだった――僕の通帳から10万円が下ろされる、おばさんの通帳からは10万円に相当する7800元が下ろされる、そしてこれを交換する。この手続きはガラス窓の向こうで行員が全部やってくれた。と言うことは、このヤミの両替は行員もすべてOKしていることなのだ。いや、この人たちだけではない、銀行の上のほうの連中もOKしている。いやいや、OKどころではない、「指示」していることではないのか。そして、儲けはみんなで分け合う。最後におばさんは「私はこのあたりの担当なの。これからもよろしく」と、携帯の電話番号を書いて僕に寄越した。

実は何か月前、やはり両替に来た時にもこのおばさんに会っている。その時はすでに窓口に立っていた僕の前に割り込んできて、100元札の分厚い束を突き付けた。ヤミの両替を勧めていることは分かったが、通訳してくれる生徒もいなかったし、偽札が怖かったこともあって、僕はきっぱりとお断りした。

でも、このおばさん、僕が両替に来た時に、なんでこんなに都合よく現れるのだろうか? ここは窓口がたった二つしかない小さな支店だ。近くに外国人がたくさん住んでいるわけでもない。おばさんが一日中、支店に張っていても、商売が成り立つのは難しいだろう。想像するところ、僕が両替に現れたらすぐ、銀行の誰かからおばさんに連絡が行くのではないか。そして、僕が順番を待っている間におばさんが駆けつけるという手はずなのだ。そうとしか考えられない。

ちなみに、中国銀行というのは100年以上の歴史があり、この国のかつての四大国有商業銀行の一つだ。もともとは外国為替専門銀行で、僕は中国に来て以来、いつもここで円を人民元に交換してきた。

で、ふと思い出したのだけど、桂林では中国銀行のどの支店でも両替ができるが、5年以上前、黒竜江省ハルビンにいたころは、省内最大の黒竜江支店でしか両替できなかった。そして、この支店の前にはいつもヤミの両替のおじさん、おばさんが10人ほどたむろしていた。僕はまったく相手にしなかったが、連中から逃れて銀行の中に入るのが大変なほどだった。中までついてくるのもいた。

桂林に来てからも、わが塾で中国語を勉強していた日本人が、ヤミの両替屋を塾に呼んだりすることがあった。僕は苦々しくは思いながらも黙認していた。
でも、つらつら考えるに、由緒正しい中国銀行そのものが副業?でそれをやっているのであれば、しかも、偽札の交じる心配がないのであれば、なんでそれを拒絶する必要があろうか。「清く正しく生きる」ことを棚に上げて「随分これまで損をしてきたなあ」と、情けないことを考えてしまうのであった。