まだ言いたい「レストランで腑に落ちないこと」

中国でも日本でも、レストランで頼んでもいないのに勝手に出してくる、そしてカネまでふんだくる――腑に落ちないことの筆頭は、中国では消毒済みと称した食器類、日本ではなんといっても「お通し」だと思っていた。ところが、日本ではその風向きが少し変わってきているようだ。

と言うのは――初めて入ったレストランでアルコール類のメニューを見る。その折、僕はまずメニューの隅のほうに目が行く。そこには、小さな字で「アルコール類をご注文のお客様には○○○円のお通しがつきます」なぞとよく書いてある。ふむ、ふむ、よくない店だ、どう言って断ってやろうか。

ところが、「・・・○○○円のお通しがつきます」と書いた後に「お通しの要らない方は断って下さい」といった旨の但し書きが続いていたりする、そんな店をちょくちょく見掛けるようになった。えっ!? そうなら、最初からお通しそのものを出さなければいいじゃないの。押し付けの有料のお通しを欲しがる客なんて、まずいないだろう。そう思うけれど、店としてはお通し代は欲しい。でも、僕のようにお通しを断る小うるさい連中がいる。言い争うのも他の客の前でみっともない。どうしたらいいか、悩んだ末の折衷案なのだろうか。

僕はもうかれこれ四半世紀以上、「勝手に出してきてカネまで取る」お通しは撲滅すべきだと訴えてきた。この『なんのこっちゃ』でも何回か話題にさせてもらった。お通しが嫌なら、そもそも外で飲まなきゃいいではないか。そう言われるかも知れないが、まあ、人間の器が小さくて、こんなことばかりが気になる。でも、ごまめの歯ぎしりのような主張がようやく世間に認められてきたみたいで嬉しい。たまには「お通し無料」と看板に掲げた居酒屋も見掛ける。おう、入ってやろうか、といった気持ちにさせられる。

風向きはさらに変わってきている。お通し拒否OKの表示がない店でも「要らない」と言うと、素直に引っ込めるところが増えてきたようだ。「済みませんでした」と、謝りながら引っ込める店員にも遭った。それこそ四半世紀前なら、お通しを断れば、時には喧嘩寸前になったものだった。「責任者を出せ」「責任者は帰りました」「こんな店は二度と来るものか」「こちらこそお断りだ」なぞとやりあったこともある。第一、有料のお通しを出すこと自体をメニューに書いてさえいなかった。今やメニューに書くだけでも、進歩と言えば進歩である。

あ、そうだ、今回もテーマはレストランで腑に落ちないことだったが、ここまではもっぱら腑に落ちる話である。でも、話はこれからが本番で、腑に落ちないことはまだまだある。

イニシアルが「L」のビアホールがある。東京の大きな盛り場ではよく見掛ける。全国あちこちにもあるらしい。僕もときどき立ち寄る。しばらく前、友人と二人で東京・新橋のLに入った。ソーセージの盛り合わせをつまみに大ジョッキを1杯、2杯と空け、少し出来上がりかけたところに「ガーリックトースト」が出てきた。「えっ!? こんなもの注文してないよ」と言うと、店員は「テーブルチャージです」。つまり、お通しである。

ビアホールで有料のお通しが出てくるなんて、長年生きている僕も初体験である。もちろん、ビアホールと経営が同じ和食の店で出てきたりはするが、それとこれとは話が違う。お通しは和食の店、もっと言えば居酒屋で出てくるものではないのか。しかも、けっこう飲み食いした頃に出てくるなんて、言語道断である。当然、厳しく拒絶した。しばらくすると、さっきの店員がまたやってきて「テーブルチャージは頂かないことにしました」と小声で言う。「あたり前田のクラッカー」。半世紀ほども前の前田製菓のCMを突然、思い出してしまった。蛇足ながら、これは「あたり前」と会社名の「前田」を引っ掛けた駄洒落である。

Lは東京・銀座のど真ん中にもある。ここにも行ってみた。こちらは創業80年ほどとかで、実に広々としている。僕も半世紀近く出入りしている。このビアホールではお通しなんて、見たことも聞いたこともない。ところが、今回は最初にシメサバらしきものが「お通しです」と言って出てきた。もちろん拒絶し、勘定の時に「以前はお通しなんてなかったじゃないか。いつからこんなことを始めたの?」と聞いてみると、レジの女性が「2年ほど前からです」と、少し恥ずかしそうに答えてくれた。

ところで、同じくLを名乗る店でも、この2店以外に僕の行くところでは、まだお通しにはお目にかからない。客の反応を探るために、まず2店がアンテナショップよろしく試しにお通しを出しているのだろうか。新橋のLはお通しの出し方がまだよく分からず、宴半ばに出すというへまをやったのだろうか。

せっかくいい風向きになってきたわが日本のお通し事情だけど、順風ばかりではない。逆風も吹き始めている。僕の闘いはまだまだ終わりそうにない。