陋習と闘う

少し前「できちゃった婚」について書いた折に登場してもらった女性――当時は「順風満帆」だったのに、このところ、思わぬ「逆風」にあえいでいる。

彼女は5月に結婚届を出し、挙式、披露宴はそのうちにと、のんびり構えていた。ところが、その後、妊娠していることが分かった。相手の男性はいわゆる一人っ子、両親が大喜びで、この10月に桂林での挙式、披露宴を設定してしまった。出産は来年2月の予定で、彼女にも全く異論はなかった。僕にまでお招きが来た。

ところが、突如「難題」が持ち上がった。彼女の父親が「せっかくだから、挙式、披露宴は大安吉日に・・・」と割って入り、いろいろと調べ始めた。結婚する二人の陰暦の生年月日、生まれた時刻から双方にとっての大安吉日を割り出すのだと言う。そして、専門の占い師に診てもらった結果、年内には二人に合う大安吉日がないとのこと。年が明けると、そうでもなくなるので「年内は挙式や披露宴のことは話題にしないように」と彼女に言い渡したのだ。

年内に大安吉日が少ないのは、今年が「寡婦年」であるせいとか。寡婦年とは、その年に結婚した女性は夫に死に別れやすいという迷信である。日本の丙午(ひのえうま)の迷信、つまりこの年に生まれた女性は気性が激しく、夫を早死にさせるというのと似ている。直近の丙午だった1966年(昭和41年)にはまだこの迷信が生きていて、出生率は前年に比べ25パーセントも減ったものだった。

それはそれとして、件の彼女はすっかり困ってしまった。ひたすら自分の幸せを願ってくれる父親には逆らえない。かと言って、来年まで待っていたら、子供が生まれてしまう。思案投げ首していたら、知恵を授けてくれる人がいた。中国では出産1カ月後に親類や友人、知人を招いて赤ん坊のお披露目をする習慣がある。「満月酒」と言う。正確に1カ月でなくてもいい。10日や20日、遅れてもかまわない。いずれにしろ、その日に赤ん坊を抱いて結婚の挙式も披露宴も同時にやってしまったらどうかと言うのだ。もし二人にとっての大安吉日でなくても、赤ん坊がいるのだから、許してもらえるだろう。いま彼女はこのアイデアに傾いている。

もう5年かそこら前の話になるが、桂林の塾の生徒だった女性が、海外で働いていた時に知り合った日本人と結婚することになった。日本語を習い始めたのもそれに備えてのことだった。披露宴は彼女の実家と相手の実家の両方でやる。おおよその日取りも決めていた。

ところが、意外な横槍が入った。彼女より少し年上の従姉も結婚することになった。普通なら、なんの問題もないことなのだが、彼女の実家のあたりでは、一つの決まりがあった。祖父母、両親とその兄弟姉妹、それらの子供たちという一族の間では、結婚するのは年に一人だけとの決まりなのである。想像するところ、1年の間に二つもめでたいことが続き、お互いに幸せを奪い合ってはいけないとのことらしい。祖父母としては、彼女もその従姉も同じ孫ではあるが、やはり年長のほうを優先してやりたい。駆け落ちでもしない限り、これに逆らえない。結局、彼女は翌年までおあずけを食うことになった。

以上二つの場合はまさに「陋習」と言っていい。ただ、広い中国のこと、習慣は地方によって、また北と南では大きく変わる。10年以上前、東北(旧満州)にいた頃もよく結婚式、披露宴に招かれたが、土曜、日曜や祝日が普通だった。北方の人たちはあまり大安吉日を気に掛けないらしい。桂林、南寧という南方の町に住み始めてから、平日なのに結婚式、披露宴が多いのに気づいて、ちょっと奇異な感じがした。多分、南方の人たちは縁起を担ぐことが多いのだろう。でも、さっきの二つの場合はおめでたい話だから、まあ我慢もできよう。陋習が命に関わるようになっては大変だ。

この夏、平均気温35度以上の上海で、出産後の産褥期を過ごしていた女性が熱中症で亡くなり、ニュースになった。彼女は年寄りに言われた通りにクーラーを入れないで、布団を掛けて寝ていた。産褥期の1カ月間は、シャワーを浴びたり、髪を洗ったり、歯を磨いたりしてはいけないとも言われた。外出して風に当たってはいけない、体を冷やさないようにずっと長袖に長ズボンで過ごす、冷たい水は飲まない、といった指示もあった。いくらかは理にかなったところもあるだろうが、全体としては陋習である。彼女はこれらをまじめに守り、病院に運ばれた時にはすでに息絶えていた。

大都会上海で今どきこんな女性がいるとは信じられない気持ちだ。それだからこそ、ニュースになったのかも知れない。でも、この話を教えてくれた元塾生の女性は「まだこんな禁忌が中国では一般的なはずですよ。私の周りの女性たちも親たちに言われてそうしています」と話していた。中国の若者は一般に年寄りに優しい。それだけ、若者ににとっては、年寄りが主張する陋習との闘いは厳しいものがあるようだ。