名刺の肩書

僕はこの2年余り、あまり使うこともないのだけど、全く「肩書」のない名刺で過ごしている。中国に長くいた間は「○○大学教員」だの「△△塾主宰」だの、肩書がある名詞を使っていたが、今は全くの素浪人だから、当然のことである。名刺にあるのは名前のほか住所、電話・ファクス番号、それにメールとこのブログ『なんのこっちゃ』のアドレスくらいである。

そんな素っ気ない名刺だけど、「遊び心」はある。写真のように、名刺の左上に絵があって、墓場の下から伸びた骸骨の腕が「IWAKI HAJIMU 1940−」と書かれた石碑を支えている。1940年は僕が生まれた年で、もうそろそろ墓場に入ってもいい年頃だけど、なんとかまだ生きてます――絵でそんなことを伝えているつもりだ。この名刺を見て「面白いですね」と笑ってくれる人もいる。

もっとも、僕自身にはそんな高級な遊び心のあるはずがないし、第一このようなしゃれた絵を描く能力もない。実は武田秀雄なる版画家にして画家、漫画家さらには写真家でもあるという多才な男がいる。今60歳代の後半で、僕とは三十数年来の付き合いだ。一般的にはそれほど知られてはいないのだが、知る人ぞ知る、欧米から中国まで世界的に有名で、ロンドンの大英博物館をはじめ世界各地から招かれて何度も個展を開いてきている。その彼の名刺に描かれていたのがこの絵だった。彼に頼んで、同様の絵を僕のために描いてもらった。

そんな由緒のある名刺なのだが、それでも肩書が何もないと、使っていて違和感というか場違い感というか、そんなものを感じることがある。例えば、「中国からこんな人が来ました。パーティーをやるので、よかったら来ませんか」と招待されることがある。そんな時、初対面の人とは当然、名刺を交換する。相手の名刺にはどこそこの会長とか総経理(社長)とかいった肩書がある。僕の名刺にはそれが何もない。相手もどう応じていいか、一瞬、迷ってしまうのではないか。

長らく会社勤めなどをしていた人が退職して肩書を失うと、寂しくて仕方がないといった話を聞くことがある。僕はそんな「俗人」ではないつもりだけど、名刺にはやはり何か肩書があったほうがいいのではないだろうか。そんな気持ちになってきた。じゃあ、どんな肩書にするか。「素浪人」というのも変だから、「ジャーナリスト」あたりがいいのじゃないだろうか。

僕は新聞記者を長くやってきて、今も個人的にはフリーのジャーナリストのつもりだから、決して嘘やまやかしではない。新聞社時代の仲間を見ても、定年退職後に「ジャーナリスト」や「経済ジャーナリスト」と名乗った名刺を持っている連中が少なくない。それに、僕は日本で唯一の「ナショナル・プレス・クラブ」である「日本記者クラブ」の三十数年来の会員である。おカネのことを言ってはなんだけど、毎月6000円余もの会費を払っている。日本記者クラブでの各種の記者会見にもちょくちょく出席している。立派なジャーナリストではないか。

――と、そこまで考えてきたが、今の僕が名刺で「ジャーナリスト」と名乗るのは、
いささかおこがましい。第一、どこの新聞、雑誌にものを書いているわけではない。もちろん、注文もない。この『なんのこっちゃ』は2002年に始めた当時、朝日新聞の電子版に掲載していたのだが、そんな縁もとっくに切れている。

やっぱり、名刺は肩書なしでいこう。そう決めていたら、ひょんな話がやってきた。「一般社団法人 健康・長寿国際交流協会」なるものがある。厚生労働省の元高官が会長、元参院議員の女性が専務理事を務めていて、当面は中国との交流に力を入れている。なかでも「介護」は中国にとって早急に取り組まなければいけない問題である。中国には「介護保険」なんてものはない。夫の介護は妻がやる、女がやる、そんな観念が強いみたい。いささか上から目線で言えば、中国共産党・政府には目覚めてもらわなければならない。

協会の専務理事とは、彼女が参院議員だった頃から、25年来の付き合いである。僕は少し前、「介護職員初任者研修」を受けてみたのだけど、これには彼女の勧めもあった。(6月1日7月15日8月1日付のこのブログをご参照)。そして、研修に合格したと伝えると、「あなた、うちの理事にならない?」と言ってきた。やったあ、名刺の肩書ができたぞ!! 僕も立派な俗人である。

名刺に肩書がつくと、急に忙しくなった。先日は協会の会長と専務理事に「シンポジウム」ということで、東京・元麻布にある中国大使館に連れて行かれた。なんでも、介護についてまだ理解の乏しい大使館の連中を「教育」するためである。僕も公使、参事官、一等、二等、三等の書記官といった人たち15人ほどを前に「日本における介護職員の資格制度とその仕事」について講演させられた。付け焼刃とはまさにこういうことだろう。

ところで、「理事」になれば、少しは「報酬」もと期待したが、どうも違うらしい。わが協会は知恵と行動力はあるが、カネはないのがモットー?だとかで、理事も自腹のボランティアだそうである。中国の大学で教えていた時はボランティアだったし、塾でも実質そうだった。僕の名刺の肩書はしょせん、収入とは無縁のようである。