「昭和→平成」のころ、記者としてのほろ苦い思い出

この4月30日で「平成」が終わり、5月1日から「令和」の時代が始まった。いまは一介の素浪人の僕には、特には関係のない代替わりだけど、僕が新聞記者だった30年前の「昭和→平成」の時は、何がしかの関わりもあった。以下はそのころの僕の思い出である。
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昭和天皇が亡くなったのは昭和64(1989)年1月7日土曜日の午前6時33分、死因は十二指腸部の腺(せん)がんと発表された。87歳だった。当日の夕刊(上の写真)には「天皇陛下 崩御」「新元号『平成』」「明仁親王ご即位」などの大きな見出しが躍った。昭和天皇は前年9月19日に大量吐血して以来、111日間の闘病生活だった。

この闘病の間、新聞には宮内庁発表の「天皇陛下のご容体」が連日、事細かに報じられた。たとえば、亡くなる前日には「危険な状態続く 臓器に障害、酸素を補給」との見出しとともに、「体温35.1度 脈拍93 血圧68-30 呼吸数26」という「一覧表」が載っていた。「下血」がどうだったかということも、記事中にはよく出てきた。下血とは『岩波国語辞典』によると「種々の疾患による消化管内の出血が肛門から外に出ること」である。

当時、僕は朝日新聞の経済記者で、毎週日曜日の朝刊に載る経済の特集面の編集長を務めていた。「経済」といっても、普通の経済記事のように堅苦しくはなく、読んで面白いというのが趣旨で、「ウイークエンド経済」と称した5ページの紙面だった。そのころは「バブル経済」の真っ最中で、経済記事に対する需要も多かった。

昭和天皇が亡くなった土曜日には、翌日掲載のウイークエンド経済の紙面はほぼ出来上がっていた。だが、土曜日の夕刊だけではなく翌日の日曜日の朝刊も、紙面は「天皇陛下崩御」「明仁親王即位」関連の記事で埋め尽くされてしまった。おかげでウイークエンド経済なぞを載せる余裕はなくなり、休載となった。

ただし、日曜日の朝刊から弾き飛ばされたからといって、内容そのものがボツになったわけではない。1週間後にも使える記事がほとんどだ。特集面の性格からいって、掲載が1週間くらい遅れても、食べ物でいえば「賞味期限」が切れるわけではない。その点は助かるけど、「平成」に合わせた新しいトップ記事を用意しなければならない。

考えたのが「平成を占う」と題して、大企業50社の「課長さん50人に緊急アンケート」というものだった。相手を「課長」にしたのは、今後の日本経済を第一線で背負っていく人たちだからだ。そして、向こう数十年に日本がたどる道を尋ねたところ、「一層繁栄」が64パーセント、「現状維持」が24パーセント、「衰退」が12パーセントだった。見出しには「ニッポン黄金時代」という言葉が躍った。翌週のトップ記事の見出しにも「金満ニッポン」があった。

周知のように、バブル経済が崩壊し、長いトンネルに入るのはそれからわずか2年後のことである。僕は昭和→平成のころは48歳、自分ではベテランの経済記者のつもりだったが、そんなこと予想もしていなかった。大企業の課長さんたちも同じであるが、まさに「記者落第」と言える。能天気であった。

ただひとつ、イタリア在住の作家塩野七生さんがこのトップ記事につけた談話で「昨年12月に帰国した際、経済人たちが『日本は何もしなくても、このままでうまくいくだろう』と言っているのを聞いて、なんと楽観的な、これじゃ、日本の将来はダメだ、と思いました。日本の男たちは頼りにならない、と失望したのです」と言っていた。慧眼であった。僕もこれくらいの見識を持って、紙面をつくっていくべきだった。

いまこれらの記事を読み返すと、塩野さんの談話をのぞいて、見通しの甘さにまさに汗顔の至りだが、当時もうひとつ、ちょっと味噌をつけたことがあった。昭和天皇の「下血」に関することだった。

実は、ウイークエンド経済には「こちら編集部」と称して毎回、5人ほどの記者たちが取材・執筆で思ったことや身の回りのことなどを各人200字ほどで記す欄があった。記者の肉声が出てくるので、読者に好評だったようだ。昭和天皇が亡くなって1週間後、再開したこの欄に僕は次のように書いた。

「新聞から『下血』という言葉も消え、なぜか寂しい今日このごろです」

読者から「いただけない。シャレか、パロディーか、真意が不明」「不快」といった声がいくつか届いた。

僕は翌週のこの欄で「野球でいえば、コーナーぎりぎりに投げたつもりだったのですが……」と弁解しながら、「いえ、こんな訳の分からない言い訳をするようでは、コーナーを外れていました」と書き、白旗を上げた。ただ、昭和天皇の闘病中、世間では「歌舞音曲」を控えようとか、自粛ムードがはびこっていた。下血云々はそれに対する批判・皮肉のつもりだった――以上、いささかほろ苦い「昭和→平成」のころの思い出である。