中国人・華人は「寝返り」「降伏」も辞さず!?

このところ、米国政府が中国を非難する際には、「中国」が悪いとは言わず、「中国共産党」がよくないのだとの言い方が目立つ。つまり、一党独裁で他の政党の存在を認めない「中国共産党」と、それに支配されている気の毒な「中国人民」とは別物だというわけらしい。一応、筋道は通っており、とりわけ、ポンペオ国務長官がそうした言い方を好んでいるようだ。

いくつかの報道を読んでいると、ポンペオ国務長官の対中国政策立案に当たっては、中国人のブレーンがついている。この男性は余茂春さんといい、中国・重慶で1962年に生まれて天津の大学を出た後、米国に留学した。以後、教壇に立ったりしながら、米国で暮らしている。中国で文化大革命が吹き荒れたのは1966年から76年までの10年間。彼はこの悲惨な時代に子供時代を過ごしている。そして、トランプ政権の対中国政策のブレーンになって3年、ポンペオ長官と同じ国務省7階に事務所を構えているそうだ。

当然、中国共産党はこの人物を「偽学者」だの「華人のカス」だのと非難しているし、トランプ政権の中枢に中国人・華人がいることに驚く人もいるようだ。なお「華人」の意味はいくつかあるみたいだが、ここでは中国文化を引き継ぐ中国系、台湾系の人々ということにしておきたい。

以上のような報道に接した時、ちょうど僕は暇に飽かせて『三国志演義』(井波律子訳、ちくま文庫全7巻)を読んでいた。三国志演義は2世紀から3世紀にかけての約100年間、中国統一を目指して覇権を争った魏、蜀、呉の三国の物語だけど、ここで描かれる数多くの将軍たちは生涯を通じて、これら三国のどこかに忠誠を誓っていたわけでもない。

もちろん、「忠臣は二君に仕えず」を信条とする将軍も少なくはないけれど、多くは「利あらず」と見ると、簡単に相手に降伏してしまう。そして、かつては敵だった国の軍隊で活躍したりする。「軍事には大切な要(かなめ)が五つある。戦えるなら戦え、戦えないなら守れ、守れなければ逃げよ、逃げられなければ降伏せよ、降伏できなければ死ね」という言葉も出てくる。日本の旧軍隊の「生きて虜囚の辱めを受けず」という戦陣訓とは程遠い世界である。

三国志では、蜀の劉備関羽張飛の義兄弟がとりわけ有名で、3人は「同年同月同日に死なんことを願う」とまで誓っている。そんな関羽ですら、どうしようもなくなった時には、仇敵である魏の曹操のもとに一時、身を寄せている。

こんな話を読みながら、トランプ政権内の中国人・華人の話を聞くと、別に不思議にも思えない。「寝返り」「降伏」というと、なんか語感がよくないけど、余さんなる人は自分の働き場所をそこに見つけているに過ぎないのではないか。彼をくそみそに攻撃する中国共産党も案外、我ら中国人・華人ならあり得ることだなあ、とあきらめているのではないだろうか。

以上の話に比べると、随分とスケールが小さいのだけど、中国人・華人について、僕にも似た経験がある。

四半世紀ほど前、僕がまだ新聞社にいたころ、日本の奈良から中国の西安までの3000キロ(うち陸路は1500キロ)を「平成の遣唐使」と称して、日本人、中国人が100人、200人、時には300人以上が一緒に歩いて行こうという事業をやったことがある。かかる費用はすべて日本側の負担で、責任者は僕、中国側は現地の人民対外友好協会から副秘書長の関羽君(仮名)が派遣されてきた。僕よりはずっと若い。そして、中国での宿泊代などは彼から請求が来て、僕は言われるままに払っていた。

ところが、ある時、その関君からの請求金額にふと疑念がわいた。僕だって中国のことをまったく知らないわけではない。宿泊代がちょっと高すぎるのではないか? そこで、日本の旅行会社から派遣されてきている、これも中国人の添乗員張飛君(仮名)に関君の請求が正しいかどうか、調べてくれるように頼んだ。結果は僕が思った通りだった。

僕が関君にそれを突きつけると、彼はあっさりと兜を脱いだ。人民対外友好協会の上司がカネ(こちらからあらかじめ払ってあるのだけど)を回してくれないので、一緒に歩いている中国人の学生たちに果物を買ってやることもできない。仕方なく宿泊代をごまかし、それに充てたということだった。

僕は鷹揚に言った。「今後、このようなことをしなければ、これまでのことは不問に付す。果物代など必要なものがあれば、遠慮なく言ってほしい」。ちなみに、人民対外友好協会の副秘書長の彼が言った「上司」というのは、秘書長のこと。確かにカネの請求がうるさくて、僕もいささか手を焼いていた。

関君の問題はこれで一応、決着がついたのだが、だいぶ経ってから、彼が血相を変えてやってきた。目が潤んでいる。そして、言うには「私がやったことを『不問に付す』と言っていただいたので、私はあなたに忠誠を誓ってきました。ところが、(日本側の添乗員の)張からさっき『いつかはカネをごまかしやがって』と言われました。なぜ、過去のことを蒸し返すのですか。私は悔しくて……」。僕はすぐ頭を下げて謝った。張君にも「関君に謝ってこい」と指示した。

「忠誠を誓う」云々はやや大げさだが、確かに関君は随分と役に立った。例えば、例の秘書長が「隊が何々市に着いた時、こういう歓迎式典をやる。ついては、いくら払ってくれ」と請求してきた時、関君に「どうしたらいい?」と聞くと、「いっさい無視してください。カネなんて、ほとんどかかりません」と助言してくれた。

あれやこれや、僕が見るところ、中国人・華人は「自分はもともと中国人だから」「華人だから」といった感情に縛られることは、日本人に比べてずっと少ないようである。

話は飛んで、尖閣諸島。連日、中国の公船がやってきて、中国共産党の嫌がらせはエスカレートする一方である。日本としては、どう対処したらいいのか。誰かブレーンになってくれる中国人・華人はいないものだろうか。