「香港・台湾・沖縄・日本連邦」構想はいかが

フランス文学者の内田樹さんが雑誌『AERA』のコラムで最近、強大になる一方の中国に対抗し、日韓連携を中核として台湾、香港を結ぶ「合従(がっしょう)」によって「東アジア共同体」をつくってはどうかと提唱している。

ご本人は「荒唐無稽な話だが……」と断っているのだが、実は僕もかねてから、内田さんとはちょっと違うが、合従で「香港・台湾・沖縄・日本」を結ぶ「連邦」構想なるものを持っている。やはり荒唐無稽ではあるので、外に対してはほとんど話さなかった。だが、内田さんのコラムを読んで、僕も書いてみる気になった。

合従とは、紀元前中国の春秋戦国時代、強大になりつつあった秦に対し、周辺の6カ国(燕、趙、韓、魏、斉、楚)が同盟によって対抗しようとの外交政策で、蘇秦という人物が説いた。

一方、6カ国が秦と個別に同盟を結ぶように説いたのが張儀という人物だった。これは合従に対して「連衡(れんこう)」と呼ばれる。ただ、この策を採った国々は全て秦に滅ぼされた。「秦の始皇帝」の名は日本人の誰もが知っているだろう。

これを現代に当てはめれば、秦は中国である。この国は1949年に中国共産党によって建国された。貧しい上に、とても「民主主義」の国とは言えなかった。しかし、豊かになれば、民主化も進むだろうと、日本はかつて侵略したことへの「贖罪意識」もあって、積極的に援助を続けてきた。

ところが、豊かになるにつれて、民主化が進むどころか、逆の方向に動き始めた。「権威主義」の傾向が強まり、「中国の夢」などと称して、世界に覇権を求めているようである。

そこで、普通の中国人とは仲よくはしていたいが、周辺の「民主主義」を共通の理念とする国や地域は固く手をつないでおいたほうがいい。合従である。そして、僕が考えたのが「香港・台湾・沖縄・日本連邦」である。

この構想の目玉のひとつは「沖縄」を日本から引き離して、連邦のひとつの構成要員としていることである。周知のように、沖縄はもともと日本ではなく「琉球王国」と呼ばれた土地だった。そこを薩摩藩が武力で侵攻し、日本のものにしてしまった。そして、太平洋戦争では大変な被害を受け、今もなお、在日の米軍基地の大半を引き受けさせられている。時折、「沖縄独立論」が出てくるゆえんでもある。

そこで、僕の連邦構想では、首里城は残念ながら焼けてしまったが、沖縄をいわゆる日本本土から切り離し、独立した「1国」として参加してもらう。ただ、いま鹿児島県に含まれている奄美大島などもかつては琉球王国の一部だったので、これをどう扱うかも問題になるが、住民投票で帰属を決めることも出来るだろう。

連邦ができた後、いまの日米同盟をどうするかも、大きな問題となる。僕としては解消してしまいたいが、もし存続して依然、米国の軍隊が駐在し続ける場合でも、これまでのようにその負担の多くを沖縄に押し付けることは出来ない。香港、台湾、沖縄、日本がそれ相応に負担することになるだろう。

また、最初に書いた内田さんの「東アジア共同体」構想では「日韓連携を中核として」とあるが、僕の構想には韓国を入れていない。

実は、いまはないけど、僕が2008年に中国で、日本語、韓国語、中国語の3カ国語を教える「東方語言塾」なるものを立ち上げた時、近い将来、中国と朝鮮半島、日本との往来が自由になるだろうと、能天気に考えていた。だから、日中韓の言葉をみんなで勉強しましょうというのが、塾を始めた趣旨だった。

ところが、最近の日韓の関係を見ていると、そんな時代がそう早くに来るとは思えない。北朝鮮の振る舞いも困ったものである。僕の構想も荒唐無稽ではあるけれども、「日韓連携」よりもまだ現実味があるのではないだろうか。

連邦発足に際しては「公用語」をどうするかの問題もある。「日本語と中国語」でいいだろうという訳にはいかない。ひと口に「中国語」といっても、いろいろあるからだ。

もちろん、一番の難題は、すでに「一国二制度」ということで中国の一部になっている香港、そして中国が「わが領土」と主張している台湾を、平和裏にどうわが連邦に呼び込むかである。暇に任せて考えているが、まだいい知恵は浮かんでこない。

しかし、この連邦構想は中国共産党権威主義的な支配に苦しむ、かなりの中国人にとっても、受け入れられやすいのではないか。中国人が国を捨てたいと思った時、わが連邦があれば、同胞のいる香港や台湾に行くか、思い切って沖縄や日本に行ってみるか、選択肢が増えるというものである。