融通無碍、臨機応変の人たち

写真の中央の女性はわが塾の最古参の一人で、これはその誕生パーティーの模様である。彼女は今、日系の会社で通訳をしている。パーティーの参会者は本人も入れてたった三人といささか寂しいが、彼女の勤め先がある梧州に来て初めて、某日が彼女の誕生日だと気づいたものだから、まあ仕方がない。向かって左の女性も生徒の一人。中央に小さいながらも心づくしのバースデイケーキが鎮座し、向かって右のご老体もにこやかである。ところが、まもなくこのご老体、つまり僕の機嫌がきわめて険悪になる。生徒二人にではなく、バースデイケーキに向かって怒り出したのである。

ケーキの中央に円く並んでいるものは何だと思われるだろうか、そう、通常は「イチゴ」である。ところが、このケーキの場合は「ミニトマト」だった。買いに行ったのは向かって左の生徒と僕である。参会者がただの三人だから小さいのを買ったけれど、別に安物を求めたわけではない。買った時にはミニトマトだとは気づかなかった。誕生日の生徒は「ミニトマトだってきれいですよ」と言ってくれたが、なんとも申し訳ないことをしてしまった。僕の怒りは収まらない。

翌日、件のケーキ屋に行き、ショーケースの見本を眺めてみた。ミニトマトのケーキなんて全く見当たらない。全部イチゴである。昨日はたまたまイチゴがなかったので、臨機応変ミニトマトで代用したのだろうか? 単に安く仕上げるためにだろうか? いずれにしろ腹が立つが、中国語で文句を言うほどの力もないから、すごすごと引き下がらざるを得ない。それに、見本と本物とが異なるのはこの地では普通のことでもあろう。

数日後、生徒と二人で梧州から桂林にバスで行くことになった。高速道路を走って4時間ほど掛かる。まずはバスターミナルに向かうべく早朝、タクシーに手を上げた。止まったタクシーを見ると、助手席に先客のおじいさんが一人いる。ちなみに、当地ではなぜか助手席が一等席である。それはそれとして、タクシーの運転手は僕たちの行き先を聞いて「乗れ」と言う。二組の客から同じように料金をふんだくる悪徳運転手かも知れないと思いながら乗り込んだ。

走り出して運転手が言うには、まだ朝も早いからタクシーはなかなかつかまらない。それなのに、あんた方はリュックを背負って大変そうだ。一方で、先客はまもなく降りる。行く方向も同じだ。そこで、相乗りをさせてあげたのだとのこと。随分と恩を売られているようでもあるが、確かに先客は1キロほど走った後、メーター通りの料金を払って降りた。運転手はここでメーターをいったん切り、僕たちはそこからの料金を払うことになった。いやはや、ありがたい話だ。いくらかは安くつく。日本ではこんなに融通が利くことはないのではないか。

同じ臨機応変、融通無碍でも、桂林では逆のことを経験した。桂林のタクシーは初乗り料金が7元(1元≒20円)、それに、なぜか燃料代なるものが1元つき、初乗りは8元である。冷たい雨も降っていたので、どう考えてもその初乗り料金で行ける所までタクシーに乗ろうとした。手を上げるとタクシーはすぐ止まるのだが、運転手は行き先を尋ね、「10元」と言う。冗談じゃない。でも3台、4台、止まったタクシーはみな同じことを言う。仕方がない。寒さも募ってきたので、5台目のタクシーに言い値の10元で乗ることにした。

その運転手が言うには、春節旧正月)を迎えて我々もカネが必要だ。メーター通りの仕事なんか、とてもしておれない。もちろん、メーターには正しい料金が出るけど、それは関係ない。確かに、タクシーを降りる時、メーターの料金は7元だった。本来なら、料金はプラス1元の8元のはず。10元払わされたから、2元は運転手の懐に入る。

じゃあ、これを当局に訴えたらどうなるの? そう尋ねてみたら、そんなことをしても無駄だとのこと。当局が文句を言ったら、我々はいっせいに仕事を辞めてしまう。観光都市桂林でかえって困るのは当局だろうと言う。いやあ、大したものだ。カネが欲しければ臨機応変、勝手にタクシーの料金体系を変えてしまう。ただ、桂林のタクシー業界の名誉のために言えば、帰りに乗ったタクシーではこんなことは全くなかった。

梧州から桂林に行く時、最初は昨年開通したばかりの「高速鉄道(高鉄)」に乗るつもりだった。ただし、時速200キロくらいで走っているので、正しくは 時速300キロほどの高鉄とは区別して「動車」と呼んでいるとのことだが、これでも2時間ほどで行ける。ところが、わが生徒によると、いつのまにかその高鉄がなくなっている。エッ!! なんでも、最近各地で次々に高鉄が開通するものだから、車両が足らなくなって、他の高鉄に回されてしまったみたいですと言う。インターネットを覗いていると、北京近郊でも開通して1カ月ほどで、乗客の少なさを理由になくなった高鉄があったそうだ。

これもあれも、よく言えばなんとも融通無碍、臨機応変、日本人には真似ができそうにない早業である。