水中は「天国」みたい

プールに通いだして満5か月になった。三日坊主のことが多い僕にしては珍しく、週に3回のペースは崩れない。暇にあかせて、多いときには4回も行く。成果は?と聞かれると、返答に困るのだが、なんとなく楽しい。通うのが全く苦にならない。

「プール」とは言っても、「泳ぐ」よりも「水中ウォーク」が主で、1回に25メートルのプールを往復20回から30回、距離にすると、1キロから1.5キロを歩いている。大したことはないようだが、それなりに疲れてくる。往復10回、つまり0.5キロを歩くのに、20分ほどかかる。1.5キロだと1時間である。

水中ウォークを始めて最初の頃は、30分も1時間も、ただ25メートルのプールを行ったり来たりするなんて、退屈だなあと思っていた。ところが、だんだんそんな感じがしなくなってきた。景色の変化もないところを、ひたすら歩いているだけなのに、なんとも気持ちがいい。生命は海から生まれたそうだが、なるほど「むべなるかな」という気持ちにもなってくる。

午前中、プールに早めに行くと、水中ウォークでよく顔を合わせる年配の女性がいる。ゆっくりとした歩きだが、しっかりとしていて、どこと言って不自然なところはない。ところが、プールから上がった姿を見ると、彼女は壁に伝わってやっと歩いている。階段の上り下りは手すりにつかまって、さらに大変そうだ。横で同年輩の女性が手助けしている。

ことほどさように、水中を歩くのは、地上を歩くのに比べて、随分と楽なようなのだ。僕も、これまで何度か書いてきたように、この10年来、脊柱管狭窄症というのを患っていて、地上を歩いていると、時には足が痺れてきたりする。ところが、水中だと、全くそんなことがない。これだけに限れば、水中はまるで「天国」みたいである。

ところで、ウォークではなくて、先般(6月1日付)情けない話を書いた「泳ぎ」のことだけど、わずかずつではあるけど、進歩はしているようだ。ただし、指導員によるレッスンのクラスは、上から「上級」「中級」「初級」「初心者」と4つあるのだが、僕はいまだに「初心者」にとどまっている。

どのクラスのレッスンを受けるかは、全く個人の自由なので、僕も「そろそろ上のクラスに・・・」と、初級に何回か参加してみた。クロールや平泳ぎなら、ある程度はできる。まあ、なんとかなるだろう。

ところが、勝手がいささか違った。同じクロールでも、初心者クラスでは10メートル泳げば、指導員からOKが出る。ところが、初級クラスでは25メートルを泳がされる。途中で立ってもいいのだけど、僕には25メートルというのが、まだきつい。

背泳の初級クラスに出てみた時も、情けない思いをした。僕は高校生の頃、クラス対抗の水泳大会で、背泳の25メートルを泳いだことがある。成績は芳しくなかったものの、一応は泳いでいる。まだ泳ぎ方をいくらかは覚えているだろうと思ったのだが、レッスンでは体が全く浮かずに沈んでいく。早々に退散した。

いま僕にできるのは、クロールか平泳ぎで十数メートル、息継ぎをしないで泳ぐことである。息継ぎをすれば、まだまだ泳げるのだろうが、今のところ、その息継ぎがうまくできない。したがって、25メートルを泳ごうとすれば、途中で1回か2回、立ち上がるという、みっともないことになる。

聞けば、第18回アジア競技大会の競泳女子で、6冠を達成した18歳の池江璃花子さんは、最後の50メートル自由形を息継ぎなしで泳いだという。僕も50メートルは論外として、せめて半分の25メートルは息継ぎなしで泳げるようになりたい。1回か2回は息継ぎをしてもいい。そうなれば、ウォークだけではなく、泳ぎのほうも「天国」に近づいていくだろう。実際、そんな感じで悠々と泳いでいる人たちをよく見かける。よし、新しい目標ができた。そう決心したところである。