所信表明演説に見る岸田首相の「語る力」

10月3日、臨時国会が召集され、岸田文雄首相が所信表明演説をおこなった。暇人の僕は最初から最後まで聞いていたが、とにかく退屈だった。翌日の新聞各紙を繰ってみたら、サンケイは「首相に欠けるのは発信力である」、朝日は「(首相が自賛する)『聞く力』もいいが、『語る力』が足りなさすぎる」と批判している。おやおや、安倍晋三氏の国葬に対しては、サンケイが賛成、朝日が反対と、真っ向から対立していたが、ことが首相の発信力・語る力になると、意気投合している。首相は身内の自民党幹部からも「国民はそろそろ『聞く力』に加えて『語る力』も強烈に求めている」と、注文を付けられている。

そこで、新聞に載った所信表明演説を読んで、首相の「語る力」について僕なりに考えてみた。まず気づいたのは「修飾語」「強調語」の類や大げさな表現が多く、結果として具体性や説得力に欠けることである。例えば、演説の「はじめに」と題した部分では、「日本経済を必ず再生させます」「アジアと世界の平和と安定を断固守り抜いてまいります」と、大見得を切ったあと――

「今、日本は、国難とも言える状況に直面しています。世界が、そして日本が直面する歴史的な難局を乗り越え、我が国の未来を切り拓くため、政策を、一つひとつ果断に、かつ丁寧に実行していきます。どんな困難も、皆が力を合わせ、一歩一歩前に進むことで、必ず乗り越えることができる。先日訪問した福島で、私はその思いを一層強くいたしました」

このあと、首相が見た福島の現況を述べ、「多くの皆さんの力により、福島は、着実に、復興に向け、歩みを進めています。東日本大震災という未曽有の国難からも、立ち上がることができました。そうであれば、今我々が直面する困難も、必ずや、乗り越えていける。私は、そう確信しています。共にこの国の未来を見据え、歩みを進めていこうではありませんか」。

以上は、首相がまず訴えたかった所、いわば「聞かせ所」のはずである。でも、これを聞いて、あるいは読んで、「そうだ、そうだ」と膝を叩き、共鳴する人がいるのだろうか?
確かに、今の日本には、物価高など危機はたくさんあるが、それらをどうやって乗り越えるの? 首相は「政策を、一つひとつ果断に、かつ丁寧に実行していきます」「皆が力を合わせ、一歩一歩前に進むことで、必ず乗り越えることができる」とおっしゃる。はあ? キーワードは「一つひとつ果断に」「丁寧に」「力を合わせ」「一歩一歩前に」あたりのようだけど、具体性は何もない。

ついで、首相は「東日本大震災という未曽有の国難からも、立ち上がることができました」と言っているが、そこまで言い切っていいのだろうか? 現に、福島第一原子力発電所廃炉作業ひとつをとっても、とてもそんなことは言えないはずだ。なのに、首相は福島を根拠に、今の困難も「必ず乗り越えられる」と繰り返している。語る力以前に聞く力、見る力にも問題がありそうだ。福島など被災地の人たちが怒るのではないだろうか。

演説の「政治姿勢」と題した部分では、安倍晋三氏の国葬について「国民の皆様から頂いた様々なご意見を重く受け止め、今後に活かしてまいります」、旧統一協会との関係については「国民の皆様の声を正面から受け止め、説明責任を果たしながら、信頼回復のために、各般の取り組みを進めてまいります」。はあ? 重く受け止め、今後に活かすって、どんなふうに? 正面から受け止め、各般の取り組みを進めるって、どんな取り組み? 

そして「国民の皆様からの厳しい声にも、真摯に、謙虚に、丁寧に向き合っていくことをお誓いいたします。『厳しい意見を聞く』姿勢にこそ、政治家岸田文雄の原点があるとの初心を、改めて肝に銘じながら、内閣総理大臣の職責を果たすべく、全力で取り組んでまいります」が「政治姿勢」の結論の部分である。ここでも「真摯に」「謙虚に」「丁寧に」あるいは「全力で」といった修飾語が「これでもか…」といった感じで安売りされている。

このあと、役所の政策集のような内容が続くのだが、ここでも「何としても、…を守り抜きます」「政策対応を力強く進めます」「今こそ、正面から、果断に、この積年の大問題に挑み、…の実現を目指します」「加速させます」「早急に具体化します」といった勇ましい表現が随所に現れる。なんか、空虚な感じがする。

そして「結語」の最後は「『信頼と共感』。この姿勢を大切にしながら、正道を、一歩一歩、前に向かって進んでいく。この国の未来のために、これからも全身全霊で取り組んでまいります」である。所信表明演説で最高!?の修飾語「全身全霊で」が登場する。聞いていると、どうしてか、肩が凝ってくる。

所信表明演説と前後して、岸田氏は31歳の長男を政務担当の首相秘書官に起用した。「身内びいき」「公私混同」との批判に対し、同氏は当初「適材適所の観点から総合的に判断した」を繰り返した。語る力はゼロというより、もはや「マイナス」である。とても「信頼と共感」を寄せるわけにはいかない。