コロナ禍で「よかったこと」

新型コロナ感染症の新規感染者がこのところ、また増え始めている。心配なことである。それはそれとして、これまでに感染して亡くなった方、治っても後遺症に苦しんでいる方にはまことに申し訳ないのだけど、幸いまだ感染していない僕にとっては、コロナ禍で「よかった」と思ったことが二つある。 

ひとつは、街のレストラン、食堂、居酒屋、ビアホールの類に入った時、店主や従業員の皆さんが、例外がないほどにきちんとマスクをするようになったことだ。店の人が料理をこしらえたり、客の席にそれを持ってきたりする時、そして、料理を手に客とちょっと話したりする時、つばき(唾)がかかっているのではないか。コロナ禍以前もそう思うと、なんか気持ちがよくなかった。ところが、コロナ禍の今はそんなことはまずない。みんながマスクを着けていてくれる。安心して、料理に手をつけられる。

話は少し飛ぶけど、BS-TBSで週1回、もう長いこと続いている「吉田類の酒場放浪記」という1時間番組がある。「酒場詩人」とも呼ばれる、73歳の酒豪吉田類さんがベレー帽をかぶって、東京近辺を中心に各地の居酒屋を巡り歩く。ビールだの、日本酒だの、あるいは焼酎だのをぐいぐい、出された料理をぱくぱくやりながら、店の大将や女将と雑談を交わす。時には、居合わせた別の客たちと乾杯を繰り返す。まあ、どうってことのないマンネリ番組なのだけど、ついつい見てしまう。

そして、1時間の番組の間に居酒屋が4軒紹介されるが、そのうち1軒だけがその回に初めて出てくる居酒屋で、残り3軒は以前に放送した分の再放送(あるいは再々放送か)である。随分とお手軽に1時間番組を作っているなあ。昔、テレビ局にいたこともある僕は感心して見ているのだけど、これが結構面白い。コロナ禍以前と最中とでは、居酒屋の雰囲気ががらりと違うのである。

つまり、コロナ禍以前の番組では、店の大将も女将も、もちろん客たちも、誰もマスクなんかしていない。大将が料理を手に、吉田類さんに話し掛けている。ああ、飛沫が……と思ってしまう。ところが、コロナ禍のもとで作られた番組では、大将らもちゃんとマスクをしている。飛沫の心配はない。「職業差別」だと怒られるかもしれないけど、コロナ禍が完全に収まった後も、飲食業に携わる皆さんには、ぜひマスクの着用を励行してもらえたらありがたい。

もうひとつ、コロナ禍で「よかった」のは、「日本記者クラブ」の会見にいわゆる「ウェブ」で参加できるようになったことだ。これにはちょっと説明が必要だけど、日本記者クラブというのは日本の「ナショナル・プレスクラブ」で、国内外のいろんな人たちを招いて頻繁に記者会見を開いている。例えば、かつて来日した海外の要人ではサッチャーゴルバチョフ、鄧小平、アウンサンスーチーマンデラキッシンジャーなんて人たちがここに来たし、羽生結弦大谷翔平も来ている。また、国政選挙が行われる際には、自由民主党立憲民主党日本共産党など全政党の党首がここに来て会見する。普段も毎日のように誰かを招いて会見が行われている。

昔々新聞記者だった僕は当時も今も、個人で月に5000円払って、ここの会員になっている。したがって、どの会見にも出席できるのだけど、素浪人になって家にいることが多い今の僕には、かなり面倒なことでもある。まず第一に、埼玉県の片田舎の自宅から都心にある日本記者クラブまで2時間ほど掛かる。往復4時間。おおむね1時間か1時間半で終わる記者会見のために、ほぼ丸一日を費やすことになる。出たい会見でも、つい億劫になる。せこい話だけど、交通費も往復1500円ほど掛かる。

第二に、普段の生活に困るほどではないが、僕は耳がいいほうでもない。それが寄る年波で悪い方向に向かっているのだろうか。同じ記者会見でも、歯切れよく話してくれる人はいいが、僕から言って「ぼそぼそ」と話す人は、どうも聞き取りにくい。苦労する。

以上、ふたつのことが、コロナ禍のせいでがらりと変わった。記者会見がウェブでも配信されるようになって、自宅のパソコンから参加できるようになったのだ。「リモートワーク」「テレワーク」なんて、僕には縁のないことだと思っていたのに、そうではなくなった。まずは時間の無駄、おカネの無駄がなくなった。そして何よりも、ウェブだと声が全てはっきりと聞き取れる。また世界が広がった感じがする。

ところで、コロナ禍がきっかけで、公園や河原に捨てられた空き缶やペットボトルなどのゴミを、定期的にボランティアで集めるようになったご老体の話が新聞の投書欄に載っていた。なんでも、コロナ禍の最中、孫が通う保育園から欠席に協力するよう頼まれた時期があった。そこで、孫を預かって散歩するうちに、たくさんのゴミを見つけて拾ったのが習慣になった。「コロナ禍も悪いことばかりではない」と、投書の主は結んでいた。自分の利害しか考えていない僕に比べ、世の中には奇特な方もいらっしゃるものである。