階段は親の仇か!?

映画「こんにちは、母さん」を見ていたら、主演の吉永小百合の住まいにやってきた孫娘が2階まで階段を上る時、トントントンと駆け上っていく。渥美清の映画「男はつらいよ」の何作目かをテレビで眺めていたら、東京・柴又の寅さんの「おいちゃん」の家で、やはり誰かが2階まで駆け上っていく。そうなんだ、1階から2階くらいまでは駆け上るのが普通なんだ。老人つまり僕は今さらながら、何でもないことに感心してしまった。

わが家は1階から2階まで14段、しかも途中に踊り場まであるのに、僕は2階の自分の部屋に行く時、もちろん駆け上ったりはしない。1段、1段、踏みしめるようにして、ゆっくり上っていく。さすがに、まだ手すりは設けてないけど、つかまるところがあれば、それにつかまって、安全を確保している。

駅の階段を2段ずつ駆け上っていく若者もちょくちょく見かける。そう言えば……と昔々のことを思い出した。23歳の時、大学を出て新聞社に入り、九州の佐賀支局に配属された。最初は警察担当で、県警本部の中をネタを求めてぐるぐる回っていた。県警本部は4階建てで、エレベーターなぞはない。その2階、3階、4階に行く時には、階段をいつも2段ずつ駆け上っていた。快適だった。疲れなんて全く感じなかった。

今は、駅の階段は原則、歩いて上ることにしているのだが、きつく感じることもよくある。50段、60段を上ると、しばらく休息を強いられる。

どうも最近は、この種の情けない話をよく書いてきたみたいだが、もうちょっと景気のいい奴はなかっただろうか。そうだ、「趣味はマンションの階段上り」といった話を書いた記憶もあるぞ。古い記事を探っていくとちょうど10年前、2013年にそれはあった。中国南方の南寧に住んでいたころのことだ。

読んでみると、僕が住んでいたアパートのそばに30階建てのマンションがあり、上までの階段数は計600段ほど。「一気にはなかなか上れない」けど、「冬でも汗びっしょり、結構な運動になる」ので、ちょくちょく上っていた。あるいは、僕の住むアパートは7階建てに過ぎないが、8回ほど上ったり下りたりすると、「計1000段やそこらにはなる」ので、時にはそれを繰り返していた。

まだあるぞ。コロナ禍の前は台湾にも時々行っていたが、台北の市内、地下鉄の終点近くに「象山」という標高180メートル余りの山がある。頂上まで階段は1000ちょっと。これをゆっくり、ゆっくりだけど、休まないで上り切った。そんな記事をこのブログで書いている。2018年、5年前のことだ。今は「1000段」なんて、とても、とてもといった感じである。「十年ひと昔」ならぬ「五年ひと昔」なのだろうか。

老人にとって階段は、上るのも一苦労だが、下るのも注意が必要だ。バランスを崩して、階段を滑り落ち、骨でも折ったら馬鹿馬鹿しい。僕は駅の階段を下りる時、端の方、つまり手すりのあるそばを選ぶことにしている。もし、つまずきそうになった時、すぐにつかまれるようにするための用心だ。

テレビのニュース番組を見ていると、各国の要人が飛行機のタラップを下りる光景が時々、出てくる。それらを見ていると、僕よりやや若い81歳の米国大統領バイデン氏の足元はちょっと心もとない。記者会見の際には、若さを強調しようとしてか、軽く走る格好をしてマイクの前に立つこともあるが、なんか痛々しい。70歳の中国の国家主席習近平氏がタラップを下りる姿も決して感心したものではない。太り過ぎなのか、ヨチヨチしている。

その点、米国の国務長官ブリンケン氏には感心した。トントントンと軽く弾みをつけるように、タラップを駆け下りていくのだ。「お、カッコいいじゃん」と、思わず叫んでしまった。そのブリンケン君は御年61歳だそうだ。

年齢を重ねてくると、「階段」というものが、上るにしろ、下りるにしろ、まるで「親の仇」のように立ちはだかってくる。もう一度、ゆっくりゆっくり、休み休みでいいから、1000段あるいは500段程度の上り下りに挑戦してみようか。それとも、歳を取るのは仕方ないからと、成り行きに任せるか。でも、中国語で言えば「我老了(われ老いたり)」とは言いたくない。僕はいま「岐路」に立っている。