断固拒否「問答無用で有料のお通し」

BS-TBSで週1回続いている「吉田類の酒場放浪記」という番組がある。1時間の間に再放送も含めて4軒の居酒屋が紹介される。以前にもこの番組を取り上げ、コロナ禍のおかげで店主や従業員がマスクをきちんと着けるようになった、失礼ながら、料理に店主らのつばき(唾)がかかっていないかと心配する必要もなくなった、と書いたことがある。今回は別の観点からこの番組を取り上げたい。

それは吉田類さんがカウンターに座るや否や出てくる「お通し」である。1時間の番組でそんな場面が4回ある。テレビの画面には300円、400円、500円などといった料金も表示される。このお通したちは注文もしていないのに勝手に出てくる。そして、それなりのカネを取る。なんとも厚かましい。「悪徳居酒屋」ではないか。僕はこれが大嫌いである。それこそ40年ほど前から折あるごとに悪口をあちこちに書いている。しかし、一向になくならない。たまには同じ主張を繰り返さないとストレスが溜まる。見ていなくてもカネを取るNHKの受信料と並んで、我が国の「二大悪習」ではないだろうか。

ところが、「酒場放浪記」に先日「異変」が起きた。4軒の居酒屋のうち、2軒はこれまで通りの悪徳居酒屋だったが、1軒はお通しなし、あと1軒は小鉢にサトイモとゴボウの煮つけが入ったお通しが無料だった。いよいよ僕の主張も少しは世に受け入れられるようになったか。そう期待してその後もこの番組を見ているが、残念ながら、異変はこの日だけだった。

もちろん、有料のお通しが嫌なら、有料か否かを確かめてから、断ることもできる。しかし、断ればなんとなく雰囲気が悪くなるし、「いや、これはうちの決まりです」と、すごまれることさえある。逆に「無料です」と言われたら、こちらのケチぶりがさらけ出されたようで、恥ずかしくなる。たかがお通し、されどお通しである。夕暮れ時の街を歩いていて、どこかの居酒屋で軽くやりたいなあと思うことがある。でも、こいつのおかげで初めての店に入るのに二の足を踏んでしまう。

もっとも、初めての居酒屋でも仲間数人と一緒の時は心強い。入り口でまずお通しについて確かめる。もし有料だったら、「お通しは要らない。料理をたくさん食べるから」と言い、相手が了解してから店に入る。これだと、雰囲気を壊すこともない。この正月、横浜の居酒屋風のところで次男一家と飲み食いした。店は次男が予約したのだが、彼は僕に会うや否や開口一番、「あ、お通しは断っておいたからね」。日頃から僕の主張を知っているからだろう。よくできた息子である。

有料のお通しを出す側にも当然、言い分はある。そのひとつが「席料」の代わりというものだろう。一応はもっともらしい。でも、そうであるならば、そのことを店の入り口なりメニューなどに目立つようにはっきりと表示すべきである。それをしないで、黙って有料のお通しを出すなんて、許されるものではない。

席料と言えば、かなり前のことだが、居酒屋の大手チェーン店に入った時、席料とお通し代の両方を請求されてびっくりしたことがある。以後、この店には絶対に入らないが、この「超悪習」は今、どうなっているだろうか。

そうしたこともあって、僕の行く居酒屋はほんとに限られてしまった。数少ないその1軒は僕の家から歩いて30分ほど、電車に乗ればひと駅のところにある。何年か前、散歩帰りの夕暮れ時にふらりと入った。10人も入ればいっぱいになる小さな店で、70歳前後とおぼしき親父さんがひとりでやっている。もちろん、お通しが出てきた。「有料か否か」を尋ねるのも面倒なので黙っていたが、勘定の時、(このあたりが僕のセコイところなのだけど)壁に貼ってある料金表を見ながら、僕が飲み食いした酒と料理の値段を計算してみると、お通しは「無料」だった。

先日、行った時のお通しは2皿もあり、小鉢に入ったおでん、それに昆布が出てきた。ビールから日本酒へと飲み進めていると、親父さんが「昆布ならまだあるよ」と言い、なんと3皿目のお通しが出てきた。全部無料である。無料のお通しが3皿なんて、それなりに長かったわが人生でも初めての体験である。

こういうこともあるから、「酒場放浪記」の有料のお通しに怒りつつも、僕の精神の平衡が保たれているのかもしれない。