医療も「費用対効果」で

僕は30年以上、東京の都心にあるK歯科医院に定期的に通っていたが、ここが昨年11月限りで閉院してしまった。院長が言うには「私も80歳になりました。まだ、やっていけるとは思うのですが、まあ、この辺りで……」。運転免許証を返上するようなお気持ちらしい。この院長を一応「老先生」としておこう。

老先生は閉院に当たって、自分が推薦する18の歯科医院の一覧表を渡してくれた。今後はこの中からどれかを選んで通ってみてはどうですか、というのだ。それぞれに院長の年齢と「補綴と矯正は見事」「事前の説明が丁寧」「治療後のフォローも優しい」といった寸評が付いている。一覧表の最後に同じく「K」という歯科医院が載っていて、寸評抜きで「50歳」「私の愚息です」とあった。場所は都心から少し離れているが、通うにはそう不便でもない。ここに行ってみることにした。院長を「若先生」としておこう。

今年になって初めてここを訪れた時、若先生は「いらっしゃいませ。よろしくお願いします」と、90度の最敬礼で迎えてくれた。僕も最敬礼でお返ししたが、医者から最敬礼で迎えられたのは初めてである。診療は、まずはレントゲンその他で口の中の写真を様々な角度から、それこそ50枚から60枚、いや、それ以上か、を撮られた。「次回はこれらを見ながらお話ししましょう」ということだった。

3週間後の次回、若先生は1時間近く、テレビの画面に映る僕の口の中について「ここの歯が少しだけ、欠けていますね」「あ、ここも……」「この虫歯はいつ治療しましたか? 随分と古いようなので、どうなっているか、ちょっと心配ですね」などと解説してくれた。治療を検討すべき箇所がいくつかあるようで、若先生のこうした指摘は僕にはやや驚きだった。というのは、老先生のところでは、こんなことはかつてなかったからだ。

ところで、僕は28本の永久歯を1本も失っていないのが自慢だったが、何年か前、左下の犬歯が1本、ポロリと抜けてしまった。早速、老先生のところに行った。当然、「ブリッジ」「インプラント」といったものを勧められると思っていたのだが、老先生はひと言、「放っておいたら、どうですか」とおっしゃる。その後、言葉通りにしているが、義歯なしでも、別に何の不自由もない。食事には全く困らない。口を開けて笑っても、場所が場所だけに、それほどには目立たないようだ。

ところが、これから世話になる若先生には、どうもこれが気になるみたい。当然、義歯が入っていてもおかしくないのに、それがないからのようだ。「(父は)なんと言ってたんですか」などと確認なさる。僕は「放っておけと言われただけです」と答えるしかない。

想像だけど、老先生が義歯を勧めなかった理由が思い当たる。ひとつは僕の年齢だ。長生きしても、あと20年。それに、永久歯で欠けたのはこの1本だけ。食べるのに不自由はしない。抜けた場所もあまり目立たない。20年やそこらは、義歯なしで十分にやっていける。「費用対効果」を考えれば、義歯を入れるという選択肢はない。どちらでもいい細かいことは放っておこう。恐らくそうだったのだろう。けだし「名医」と言ってもいい。

4年ほど前、慶応病院で右の肺の腫瘍除去手術をした時のことを思い出した。当時、左の肺にも、右の肺の奴に比べればずっと小さいけど、腫瘍があった。ところが、医師は右の肺しか手術しようとしなかった。僕が「なぜ、左の肺はやってくれないのですか」と尋ねると、医師は口ごもりながら答えた。「あなたが今、60歳くらいなら、両方をやったほうがいいです。私もお勧めします。でも、あなたのお年を考えると……」。

つまり、右の肺の腫瘍は放っておくと癌になる可能性がある。一方、左の肺の腫瘍はまだ小さな脂肪の塊だから、当分は放っておいてもいい。そして、患者の体力やお金のこと、つまり「費用対効果」を考えれば、手術しないほうがお得ということだった。費用対効果だけで名医うんぬんは早計かもしれないが、この方もやはり名医だったと思っている。

閑話休題。若先生の話に戻ると、彼は極めて真面目で優秀な歯科医なのだろう。患者の歯におかしなところがあれば、徹底して治してあげたいお方なのだ。だけど、患者としては、おカネのことを考えても、そうはいかない。次の診療では、前歯が少し欠けているところ(老先生からはそんな指摘は全くなかった)をとりあえず治療することにしたが、さて、今後どうお付き合いしていくか。「亀の甲より年の劫(こう)」ではないけど、これからが僕の「知恵」の出しどころだと思っている。