『なんのこっちゃ』再開の弁

朝日新聞電子版の通称「コラム畑」なる欄で『なんのこっちゃ』の連載が始まったのは、たしか2002年5月だった。当時、ハルビンの大学にいたので『ハルビン発なんのこっちゃ』と称していた。その後、06年8月に桂林の大学に移ってからは『桂林発なんのこっちゃ』と名前を変えて、それまで通りの隔週の連載が続いた。ところが、07年3月にこの「コラム畑」そのものが朝日新聞側の事情でなくなり、『なんのこっちゃ』もおしまいとなってしまった。

当時、『なんのこっちゃ』の終焉を惜しむ声がないわけではなかった。「これを読むためにアスパラクラブに入ったのに・・・速やかに再開してほしい」と言う奇特な読者がいらっしゃった。アスパラクラブとは、朝日新聞の会員サービスの欄で、「コラム畑」や『なんのこっちゃ』はその片隅にあった。また、隔週で『なんのこっちゃ』が更新される度に、これをコピーして親類中に配っていたと言う、いささか常軌を逸した方もいらっしゃった。中国人の日本語の先生からも「寂しくなります」との声が寄せられた。

惜しむ声はこのお三方だけだったので、当時は『なんのこっちゃ』をどこかで続けようという気は、さほど起きなかった。むしろ、5年近い連載から解放されて、ほっとした気持ちさえあった。

ところが、最近になって、ふと思い当たった。昔から言うではないか、例えば、メーカーに1人の消費者から商品についての苦情が寄せられた場合、苦情があるのはその人だけではない。背後に数十人の人たちがいる。だから、1人の苦情でも軽視してはいけない。もし、10人から苦情があれば、苦情のある人は数百人にもなる、と。

ならば、惜しむ声がたった3人でも、その背後にいる方を考えると、100人や200人が『なんのこっちゃ』の終焉を残念がってくださっているのではないか。それも日中両国にまたがってのことである。いや、連載中には欧米からも反響があったぞ。「以前、中国に住んでいました。これを読んでいると、懐かしさがこみ上げてきて、つい涙ぐんでしまいます」と言うアメリカ人もいた。世界中で惜しまれているのではないか。かように、自分勝手な想像をしているうちに、それが確かな真実であると思い込んでしまった。揚げ句は、ご期待に応えなければと、ブログで『なんのこっちゃ』を再開することにした次第である。

『なんのこっちゃ』を休んでいる間に、わが身にもいささかの変化があった。01年の秋以来、ずっと中国の大学で日本語のボランティア教師をやってきたのだが、07年夏をもってこれをやめてしまった。そして、それまで1年余りを過ごした桂林の地で日本語、韓国語、中国語(普通語)を教える小さな塾を開いた。

生徒は十数人、教室はたったの二つ、教師も僕と中国人の女性の二人だけ。しかも、いまだに中国語さえできない僕なので、日本語、韓国語を自在に操るトリリンガルの相棒にすっかり頼り切っている。50歳の李錦蘭老師で、01年秋にハルビンで会って以来の家族同士の付き合いだ。かねがね「自分の学校を持つのが一生の夢」と言うのを聞いていたので、それにつけこみ、かなりの無理を言ってハルビンから来てもらった。彼女が「塾長」、僕が「おカネの心配係」といったところだろうか。

このように家庭教師に毛の生えたくらいのわが塾だけど、ものものしく「東方語言塾」と名づけ、日中韓3カ国語で書いた「設立趣意書」まである。なんとも青臭い文章で、照れくさい限りだが、ご参考までに末尾に日本語の趣意書を掲載した。ちなみに「東方語言」とは日本語、中国語、韓国語のことである。

それでは、遅ればせなら、明けましておめでとうございます。このブログは当面、毎月1日と15日に更新します。お暇な折に駄文にお付き合いいただければ嬉しいです。

2008年1月1日    岩城 元



「東方語言塾」設立趣意書

21世紀のそう遠くない将来、朝鮮半島が統一された暁には、中国から朝鮮半島、そして日本へかけてのこの広大な一帯は、米国やEUと並ぶ、いや、この地に住む人たちの高い能力を考えれば、それらをも凌ぐ繁栄した地域となる可能性を秘めている。中国⇔朝鮮半島⇔日本を人々は自由に往来し、経済、文化、そして友情の交流に花が咲く。それは決して夢物語ではない。この地の人たちがその気になって努力しさえすれば、必ずや実現できる未来であろう。

また、これまでの世界の歴史を眺めたときに目立つのは、キリスト教社会、イスラム教社会の人たちが血なまぐさい戦いを頻繁に繰り返してきたことである。今もそれは続いている。それに比べ、仏教や儒教の精神に裏打ちされたこの地の人たちは、過ちを犯したことはもちろんあるものの、おおむね隣人に優しく、互いを尊重し、平穏裡に過ごしてきたと言えよう。21世紀の世界を平和へと導くためには、この地の人たちのそうした優しさが何にもまして欠かせない。すなわち、世界平和への仲立ちとも期待すべき人たちではないだろうか。

さて、ここまで述べてきたような期待にこの地が応えるには、まずこの地に住む人たち自身が互いを理解し合うことが何よりも大切であり、それは互いの「言葉」を知ることから始まるのではないか。中国人が日本語と韓国・朝鮮語、韓国・朝鮮人が中国語と日本語、そして日本人が中国語と韓国・朝鮮語に、それぞれ隣人の言葉として親しみ、少しでも多く理解できるように努める。それが21世紀のこの地の人たちに課せられた使命とさえ言えるのではないだろうか。

そんな思いから、私たちはまことに小なりとはいえ、ここに「東方語言塾」を設立し、私たちの理想に向かって一歩を踏み出したものである。やがてはここが日本語、韓国・朝鮮語、そして中国語学習の一つのメッカともなり、この地域と世界の平和と繁栄に貢献できることを夢見ている。