生徒や〜い

わが東方語言塾で日本語を五十音から習い始めた20歳代前半の女性がいる。旅行会社に勤めていて、なかなかに聡明だ。故郷は桂林のある広西チワン族自治区の田舎で、両親は農民だ。日本語を習い始めてしばらくして、このことを報告しようと両親に電話した。彼女によると、母親はものが分からない。父親は少しは分かるので、父親と話した。ただ、その父親もいきなり「日本語」と言ったら、何のことか理解できないだろうから、それは伏せた。

「お父さん、私は今ね、週に3回、夜、塾に通っているのよ」
「そうか、それはご苦労だな。ところで、その塾とやらに行くと、1回にどれくらい稼げるんだい?」
「そうじゃなくて、私が授業料を払って勉強しているのよ」

途端に「ばかやろう!! なんで勉強なんか、する必要があるんだ。早く結婚して子供を産め!!」との怒声が受話器に響いたそうだ。

やはり20歳代前半で、もう何年間か、日本語をほそぼそと勉強してきた女性がいる。彼女もわが塾に来るようになった。結婚している。子供はいない。私には他人に誇れるものが何もない、だから、桂林ではまだ話せる人の少ない日本語を身につけて・・・というのが動機だ。でも、夫からは嫌みを言われる。結婚した女性が「勉強」するなんて、この地ではまったく奇異なことのようなのだ。働いてカネを稼げばいいのに、なんでまた逆にカネを払ってまで、と思われるらしい。夫も周囲の評判を気にしているのだろう。彼女は悩みながら勉強を続けている。

20歳代半ばの銀行員の男性もわが塾で五十音から日本語を習い始めた。故郷は桂林からバスに2時間あまり揺られ、さらにそこから歩いて1時間ほどの山の中にある。両親は柿などの果物を作る農民だ。中学校のころ毎朝、学校へ行こうとすると、父親から必ず「なんで勉強なんか、するんだ。カネにもならないのに」と、小言を浴びた。それが嫌で、父親が起きる前に家を出るようになった。でも、頑張って専門学校に進み、会計を学んで銀行員になった。村では文句のない出世頭だ。さらなる上を目指してわが塾にやってきた。

塾を始めるにあたって、まず悩んだのは生徒集めである。塾がいかに小なりとは言え、生徒がいないことには話にならない。それに、だんだんと分かってきたことだが、いま書いたように、当地は勉強に向いた土地柄では決してないようだ。そんな中でどのようにして生徒を集めるか。

ある日、たった1人の同僚の李錦蘭老師が若い女性を連れてきた。塾を開くに当たって何かの参考になるのではと、街の語学学校に出入りしているうちに、見つけたのだと言う。彼女は23歳。もうかれこれ4、5年、日本語を勉強しているが、なかなか上達しない。日本語の国際能力試験1級にも挑戦しているが、どうしたら受かるのか、さっぱり要領が分からない。李老師は彼女に「私と日本人の先生とであなたを1級に合格させてあげる。授業料はいらない。その代わり、あなたの知り合いの中から生徒を探してきてちょうだい」と持ち掛け、OKさせたらしい。かくして、生徒1人、しかも授業料なしでわが塾は船出した。

なかなかにチャーミングな彼女は付き合いも随分と広いようだ。冒頭に書いた3人は彼女の友人だし、そのまた友人が来てくれたりする。生徒はやっと十数人になった。

失敗もあった。彼女の友人の友人で、観光ガイドをしている青年がやってきた。日本語の1級試験を目指しているので、ぜひ授業を受けたいのだが、いかんせん今は授業料が払えない、悔しいがあきらめますと涙声で言う。かわいそうなので、じゃあ、カネができたら少しずつでもいいから払いなさい、と受け入れた。授業には真面目に出てくる。活発に質問もするいい生徒だった。

ところが、彼の生活がだんだんと分かってきた。学生時代からの恋人と同棲している。それはいいとして、恋人も働いているのに、生活費はすべて彼が負担している。さらには、高級化粧品を買って、恋人にプレゼントしている。収入は結構ある。こんなことが分かったので、授業料を少しでも払わない限り出入り禁止だ、と申し渡した。その後、李老師あてに「話を聞いてほしい」と何度か電話があったが、「授業料を払ってくれたら、話を聞く」と応じていたら、電話もしてこなくなった。再度の泣き落としは通じないとあきらめたらしい。

そんなこともあって、わが塾はまだ結構な赤字だが、なんとか格好はつき始めたのではないか、と能天気に構えている。