張子の虎と大地震

5月12日14時28分、中国四川省成都市の近くを震源とするマグニチュード7.8の大地震が起きた。

桂林は震源から1000キロほど離れているが、かなり揺れたらしい。「らしい」と言うのは、僕はその時、アパートの2階にあるわが「東方語言塾」で夜の授業の準備をしていたのだけど、まったく揺れを感じなかった。鈍いことだが、後で聞くと、ビルの1階、2階では気づかなかった人もけっこういたらしい。地元紙には「揺れに驚いて運動場に逃げた子供たち」といった写真が載っていた。なんでも、記録にある限り、桂林では歴史上2度目の体感地震とか。生まれて初めて地震を経験した市民も多かったようだ。

今度の大地震では、倒壊したビルに生き埋めになって亡くなった人がとりわけ多いみたいだ。中学校や小学校でもそうだし、15日現在、まだたくさんの人たちが生き埋めになったままだ。そして、日本の報道を見ると、倒壊したビルには古いものが多く、耐震性を考えた新しいビルは無事だったとの指摘がある。確かに、そんな面もあるだろう。でも、僕がこれまで中国で見聞きした限りでは、新しいビルだってそんなに安全なのかなあ、ちょっと違うのではないかと思う。

僕は2001年秋から06年夏までハルビンの大学にいたが、その後半は、キャンパス内にできたばかりの5階建ての宿舎に住まわせてもらった。なかなかに快適だったが、このビルの建築工事を毎日眺めていた僕は、不安でもいっぱいだった。何しろ、基礎工事なんてやっていないに等しいし、鉄骨もとんと見かけない。親指ほどの太さの鉄筋は使っているが、どうも頼りなげだ。結局はレンガを積み重ねただけといった感じ。新しい宿舎の近くでは8階建ての壮大な図書館も造っていたが、やり方は同じだった。日本人の同僚教師と「強い地震が来たら、我々は生き埋めになっておしまいだね」と覚悟を決めて、新しい宿舎に入ったものだった。幸いなことに地震はまったく来なかった。

桂林に来て、町はずれに大きな住宅団地を建設中と聞いたので、見学に行った。造り方はハルビンでの宿舎などと同じで、弱々しそうな鉄筋を頼りにレンガを7階、8階にまで積み上げていた。もっとも、かつては万里の長城を造った民族のことである。これでも案外丈夫なのかもしれないし、格好もそれなりに立派ではある。が、地震国日本の目で見ると、「張子の虎」のように思えて仕方がない。アネハさんとやらも、きっとびっくりだろう。耐震の基準が以前よりは厳しくなっている、とは言うものの、どうも「地震は来ない」との前提でビルを建築しているのではないか。現に、桂林では体感地震が史上2度しかないと言うのだから、そんな気持ちになるのも無理のないことかもしれない。

1976年、北京や天津からも遠くない唐山市を直下型の大地震が襲い、24万人以上が亡くなった。レンガ造りの建物が倒壊し、その下敷きになった人が多かった。この唐山市はいま、盛んに日本企業を誘致している。地震の心配はどうなのかと案内をのぞいてみると、1976年以前に唐山市で大地震が起こったのは7500年前と1万5000年前だったとか。従って「数千年以内に唐山に大地震が起こる可能性はない」と断言している。

そのスケールの大きさ、大胆さには感心したが、これだけではさすがにやや荒唐無稽とでも思ったのだろうか、以下のような記述もある。すなわち、北京・天津・唐山・大連を結ぶ地震帯では300年に1度、大地震が起こっているが、その震源は150キロずつ東に移動している。そして、唐山から西150キロの北京で発生した大地震から300年後に起きたのが、1976年の唐山の大地震であった。その300年後、つまり今からだと270年ほど後に、また大地震が起きるとすれば、それは唐山から東へ150キロの渤海湾で起きるだろう。その影響が心配されるのは沿海部の天津や大連で、内陸にある唐山は関係がない。企業進出は地震には無縁の唐山市へどうぞというわけだ。ここまで楽観的になられると、拍手のひとつも送りたくなる。

地震に限らず、当地の人たちはこと「安全」に関しては、きわめて楽観的であるようだ。たとえば、ホテルに泊まる時、臆病な僕は必ず避難する通路と階段を確認するが、避難階段に鍵が掛かっていることがよくある。火事が起きるなんて、まったく想像していないのだろう。タクシーに1人で乗るのに、わざわざ助手席に座る人が多い。助手席が格好いいと思っているみたいだが、安全ベルトを締めるわけでもない。赤ちゃんを抱いて助手席に座るお母さんも見かける。僕は仰天してしまう。バイクやスクーターの3人乗りは普通だ。やはり赤ちゃんを抱いていたりする。雑誌の写真で見たのだが、スクーターに5人乗りというのもあった。おまけに、運転している男は携帯電話を使っている。

バイク、スクーターの3人乗りひとつを見ても、一般的に中国人の身体能力は日本人より優れている感じがする。でも、それを過信してなのかどうか、「安全」への配慮は日本人よりずっと乏しい。今回の被害の大きさにも、それはきっと反映している。ごく普通の配慮だけで、こんなに多くの人が死ななくてもよかったはずだ。被害のかなりは「人災」である・・・あれ・・台所から変な臭いが・・・あ、そうだ、鍋をガスに掛けっぱなしにしていたぞ・・・。