中国人は「の」の字がお好き

わが東方語言塾は小なりとは言え、日本語では一応「高級」「中級」「初級」の3クラスを設けていて、それぞれ5人から10人ほどの生徒がいる。その初級クラスの授業はひらがなの「あいうえお」から始めるのだが、か行、さ行、た行、な行へと進み、「なにぬねの」の「の」のところに来ると、「知道、知道」(知ってる、知ってる)と叫ぶ生徒がちょくちょくいる。

そうなのだ、桂林の街を歩いていると、この「の」にときどきお目にかかる。例えば、店の看板に「傘の世界」とある。傘屋である。「日の船」と書いてあるのは、たこ焼き屋だ。「日の船」の意味は不明だが、「の」は確かに日本の字である。「の」は中国語の「的」に当たる。「傘的世界」「日的船」と書くところを、見た目に優しい「の」で代用したのだろうか。たこ焼きそのものは日本のそれに似ていると言っていいのか、あるいは似て非なると言うべきなのか、微妙なところだ。

韓国料理店に入ると、袋入りの紙おしぼりが出てきた。袋には「湿の巾」と書いてある。なんとなく意味が分かる。でも、その下に「マスカラまで」と日本語であるのは、なんのことか。「目を拭いてもいいほどに清潔です」といった意味かしらん。どこの街でのことだったか、バスの車体に「毎日の維生素」(毎日のビタミン)というのを見かけたことがある。オレンジジュースの広告だ。

「の」に限らず、この地の商品には最近、やたらと日本語の表記が増えてきた。このところ、僕はきんぴらゴボウ作りに凝っていて、セロハン袋に入ったゴボウをスーパーでよく買うが、その袋には「新鮮 香り豊か ごぼう」と日本語でデカデカと書いてある。日本への輸出用が流れてきたのかなあとも思うが、他のスーパーに行っても、生産者の違うゴボウがすべて日本語の袋に収まっている。

やはりスーパーで買った「除湿シート 洋服ダンス用 大型フツク付き」。中国製だが、「吸湿 消臭 防カビ 防ダニ」も含め、この商品の入った袋の表側はすべて日本語である。袋の裏側に日本語と中国語、英語で使用方法などが書いてある。

次に、あかすり用の「洗澡巾」。商品名は中国語だが、その横に「家を愛する 生活を愛する」という日本語のコピーがある。あかすりがどうして家や生活を愛することにつながるのだろうか。よく分からないけど、商品はなかなかに使いやすくて、日ごろ愛用している。

若い女性向けの小間物となると、日本語はまさに「氾濫」といった状況でさえある。そして、おかしな日本語もいっぱいだ。事前に僕のところまで持ってきてくれたら、無料で添削して差し上げるのに、と思うくらいである。

例えば、マスカラ。「眼もとバッチリ 自然な二重ま簡単にできる」「ご使用になゐ前にまふたの上な化粧水でとくふきとって下さい」「テープを貼ってからツャドーかアイライナーで仕上ばて下さい」。なんとか意味だけは分かる。

「タビックス」と称した靴下の一種。特徴として「指先がに靴にあたつつも痛くない」「親指と人差し指の間が破ねたくい」。材料は綿、ナイロンと「ポソウしタソ」。正しくは「ポリウレタン」だろうが、ひょっとしたら、中国の高い技術が生み出した新材料であるのかも知れない。

日本語の例をもうひとつ、顔の産毛を剃ったりするかみそり。特殊ななんとか仕上げなので、「ご使いすい」。以上の三つの商品には中国語の説明がほとんどない。若い女の子たちに使い方が分かるのかなあ、と心配にもなってくる。分からなければ、東方語言塾にいらっしゃい。

わが相棒の中国人の先生は「特に若い女の子にとっては、いま日本語がかっこいいんです。商品に日本語が少しでも書いてないと、売れないとさえ言います」と教えてくれた。中国で日本語を教え始めてもう7年近くになるが、何年か前まではこんなことはなかった。それどころか、日本語はまだ「敵性語」といった感さえあったし、反日デモが吹き荒れた時期もあった。中国人の日本人への感情が底流で急速に変わりつつあるのだろうか。

漢字は中国から日本にやってきた。その漢字を元にひらがな、カタカナができた。何かと便利な字である。中国語の中でも利用価値があるはずだ。いつの日か、「の」の字を先駆けとして、中国語でもひらがな、カタカナが広く使われるようになる、そういう時代が来るのではないか。若い女性向けの小間物屋の商品棚を眺めながら、そんなことをつい夢想してしまった。