お犬様

塾の仲間と街のちょっとしゃれたレストランに入った時のこと。ビールで乾杯し、出てきた料理に手をつけ始めた。と、毛のふさふさとしたやや大きめの犬が1匹、レストランに飛び込んできた。犬には紐なんてついていない。元気いっぱいにフロアを1周した。犬の後ろからは飼い主らしき中年の男。彼は我々のすぐ隣のテーブルに座り、犬はその足元にうずくまった。しつけは一応してあるようで、犬は静かにしている。

僕は犬が特に嫌いでもないが、別に好きでもない。中立的である。でも、盲導犬ではないのだから、見ず知らずの、しかも毛ふさふさの犬と隣り合わせで食事するなんて、気持ちが悪い。なんとかしてくれ・・・とレストランの女性従業員に合図を送るが、にやにやするだけで動こうとはしない。思うに男はこの店の得意客なのかも知れない。

顔をしかめながら男と犬をちらちら見ていると、男は犬の背中を軽くたたいた。すると、あろうことか、犬は男の隣の椅子に飛び乗って行儀よく座り、テーブルに前脚2本をチョコンと置いた。もう我慢の限界を超えた。僕らはさらに従業員に合図を送るが、依然「にやにや」が戻ってくるだけだ。僕は切れた。「出る!!」。仲間を引っ張って、店を飛び出た。もちろん、料金なぞは払わない。

なんとも不愉快な気分で通りを歩いていると、さっきの女性従業員を案内役に見知らぬ男たち3人がバイクで追い掛けてきた。店の経営者か料理人だろうか。「食い逃げは許さん。料金を払え」と言っているみたいだ。そのうちに「食べた分だけでも払え」と要求を引き下げてきたようだが、こちらはいっさい応じなかった。中国語と日本語の大声が通りに響き渡った。感心なことには暴力の危険は全く感じなかった。結果は我が方の完勝である。男たちはすごすごと引き揚げていった。少し可哀想でもあった。料金の三分の一くらいは払ってやってもよかったかなあ。

当地ではペットの犬が随分と増えてきた。街中を歩くと飼い主と散歩している光景をよく見掛ける。ただ、飼い主と紐で結ばれている犬は少数派だ。おおむね、飼い主のそばで自由を謳歌している。糞のほうもやり放題といった感がある。日本のように、ポリ袋とスコップを持って歩いている飼い主なんて、まだ見たことがない。

この地の飼い主のレベルは低いね。そう思っていたら、先日、驚かされたことがある。僕の前を飼い主と歩いていた大きな犬が、並木の脇にしゃがみこみ、例の姿勢をとった。すると、飼い主は実に素早く犬のお尻の下にA4大の白い紙を置いた。犬はその上にゆうゆうと排泄した。いやあ、飼い主のモラルは知らない間にかくも向上していたのか。感心、感心。

でも、あの紙の上の糞はどう処理されるのだろうか? 次の展開を待ってみた。すると、飼い主は糞を中にして紙をくるくると巻き、近くのごみ箱に放り込んだ。アレーッ。思わず声を上げそうになったが、これで一件落着である。ごみ箱の掃除に回ってくるおばさんたちはどう対処するのだろうか? 紙とペンと粘着テープを持っていたら「犬の糞在中」とでも書いて張っておいてあげたかった。ただ、わが塾の生徒たちに聞いてみると、こういうやり方が最近、増えているのだそうだ。掃除のおばさんのご苦労は別として、飼い主のモラルがいくらかでも向上しつつあるのは間違いない。

ところで、中国の都会では「庭付き一戸建て」なんていうのはあまり見掛けない。つまり、こうした犬たちはいわゆるアパート・マンションの部屋の中で飼われている。わが塾のある戸数30ほどの小さな棟にも、僕の知る限りでは大小4匹の犬がいる。彼らの責任ではないけれど、時にはうるさくて仕方がない。他人の迷惑を考えないアパートの犬といい、あるいは、レストランでの処遇といい、糞の仕方とその始末といい、いったい何様のつもりなんだと言いたくもなってくる。「お犬様」なのであろうか。

悪口ばかり書いてきたが、この地の犬に心から感心させられたこともある。いつだったか田舎道を歩いていて、2匹の犬が喧嘩しているのに出くわした。眺めていると、やや体の小さい方の形勢が悪く、こらえ切れなくなって逃げて行った。可哀想にと思っていたら、まもなくこの犬はほかの2匹を引き連れて戻って来た。さあ、戦いは3対1である。せっかく同情までしてやったのに、いささか卑怯ではないか。当然、1匹の方はコテンコテンである。と、3匹側は突然、せっかく有利に進めていた戦いをやめ、どこかへ去って行った。敗者の犬は随分と痛めつけられたように見えたが、別にけがをしたわけでもないみたい。あっけらかんとした感じで、しっかりと歩いている。

要するに、連中は喧嘩の仕方を知っているのだ。人間様より偉い。やっぱり、当地の犬は「お犬様」と呼ぶのがふさわしいのかも知れない。