もうひとつの連載「こんなものいらない!?」について

ネットに「J−CASTニュース」というサイトがある。実は一昨年末から月に3回ほど、僕はここに「こんなものいらない!?」というコラムを連載している。

その趣旨を簡単に言うと――私たちはこれまで「あれも欲しい」「これも欲しい」と、実にいろんなものを欲しがり、そして手に入れてきた。かつては、洗濯機が欲しかった。テレビが欲しかった。新幹線も欲しかった。それらが手に入ると、次は車が欲しくなった。空調が欲しくなった。テレビも白黒ではなくカラーテレビが欲しくなった。やがて、パソコンが欲しくなり、携帯電話が欲しくなり、まもなく、いわゆるガラケーではなくスマホが欲しくなった。

以上は「物(もの)」だが、「事(こと)」もいろいろと欲しくなった。オリンピックを開きたくなった。夏季が実現すると、冬季もやりたくなった。一度やると、二度目もやりたくなる。あ、そうそう、万国博覧会も開きたくなった。これも一度、二度とやりたい。オリンピックで大活躍した選手には、総理大臣が国民栄誉賞とやらを与えたくなった。

これらの物や事の中には、今やなくては困るものもたくさんある。でも、よく考えれば、いらないものも結構あるのではないか。なくなれば、スッキリするのではないか。そのひとつひとつを槍玉に挙げていこう――まあ、そんな趣旨である。ただし、たとえ「いらない」と決めつけても、目じりを吊り上げて言っているのではない。「頭の体操」、横文字で言えば「ブレーンストーミング」でもある。

この連載のことは「なんのこっちゃ」のプロフィールのところに1行だけ書いているのだけど、正面だってはほとんど言ってこなかった。まあ、そんなに長続きする連載ではない、やがて終わるから、そこまでしなくてもいいや、と今までさぼってきた。

ところが、あにはからんや、連載はなかなか終わらない。とうとう50回を超えてしまった。編集者に「もう、そろそろやめようかな」と言うと、「いや、読者がある程度いますから、まだやめないで下さい。月3回を2回に減らしてもいいですから」と慰留される。盆と暮れにはビアホールで慰労して下さる。

そう言われれば、いらないものが次々に頭に浮かんでくる。まだしばらくは続きそうなので、遅ればせながら今回、詳しくお知らせする次第です。URLは下記です。

https://www.j-cast.com/kaisha/wadai/konnnamono2017/

実はもう30年以上前のことになるが、朝日新聞社が発行していた『朝日ジャーナル』という週刊誌で「日常からの疑問 こんなものいらない!?」という連載をしていた。僕が担当のデスクで、部員や僕、あるいは外部の人が思い思いに書き、結構人気のある連載だった。

この企画を始めていくらか経ってから、故大橋巨泉氏が日本テレビ系列で「巨泉のこんなモノいらない」という1時間番組を始めた。もちろん、当方に仁義を切ってからだったが、僕たちの目のつけどころが悪くなかったから、彼もまねする気になったのだろう。

ただし、朝日ジャーナルそのものは売れ行き不振で、そのうちに休刊してしまったが、ちょっとしたきっかけで、「こんなものいらない!?」だけがJ−CASTニュースで復活することになった。昔の記事の焼き直しもあるし、全く新しいものもある。ただ、愚妻からは「『なんのこっちゃ』とテーマが似ていない?」とも悪口をたたかれている。

以下はJ−CASTニュースに最近載った「こんなものいらない!?」の転載です。薬などで言えば、試供品といったところでしょうか。羽生結弦選手に「国民栄誉賞」の授与が決まる前に、賞そのものにケチをつけています。

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 「国民栄誉賞」というものがある。1977年、当時の福田赳夫首相が設けたもので、最近では2018年2月13日に将棋棋士羽生善治氏と囲碁棋士井山裕太氏が同時に受賞し、安倍晋三首相から表彰状や記念品を手渡されている。

 羽生氏は将棋の名人など7つのタイトルで前人未到の「永世七冠」を達成したこと、井山氏は囲碁史上初の7大タイトル独占を2度にわたって果たしたことが評価された。

 国民栄誉賞の目的は、その表彰規程によると「広く国民に敬愛され、社会に明るい希望を与えることに顕著な業績があったものについて、その栄誉をたたえる」ことで、表彰の対象は「内閣総理大臣が本表彰の目的に照らして適当と認めるもの」となっている。

 前置きが長くなったが、僕はこの「表彰規程」がどうも気に食わない。

 まず、これは時の首相がその人気取りのために使える制度である。もちろん、誰を表彰するかに当たっては、有識者とやらの意見も聞くのだろうけど、首相の意向が最大限尊重されることは、目に見えている。

 しかも、受賞者は広く「国民」に敬愛されている人とのことである。僕もあなたも、受賞者を敬愛する「国民」の中に含まれている。

 羽生さんや井山さんが成し遂げたことは立派かもしれない。だが、お二人を敬愛していない人もいるはずだ。将棋や囲碁に無関心の人もいるだろう。それなのに、その時の権力者の意向で、勝手に二人を敬愛させられてしまうのである。

 国民栄誉賞に似た制度に、1966年に当時の佐藤栄作首相が作った「内閣総理大臣顕彰」というのがある。

 ただ、これは表彰対象が「国の重要施策の遂行」「災害の防止及び災害救助」「道義の高揚」「学術及び文化の振興」「社会の福祉増進」「公共的な事業の完成」に貢献したものとなっていて、国民栄誉賞に比べると、範囲が限られている。

 このため、通算本塁打数で世界新記録を達成した王貞治氏を表彰したかった福田赳夫首相が、対象を広げた国民栄誉賞を作ったのだと言われている。当然、第1回の受賞者はその王氏だった。

 以来、歴史の古い内閣総理大臣顕彰はすっかり影が薄くなり、事実上、国民栄誉賞の下位に位置づけられている。

 でも、僕ら国民の立場からすると、内閣総理大臣顕彰はその名前からして「首相が人気取りで勝手にやっていることだ。どうぞ、ご自由に」と傍観していられるから、まだ許せる。

 だが、受賞者を国民そろって敬愛するよう、首相から押しつけられる感じの国民栄誉賞は、どうも困ったものである。
      
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まあ、ざっとこんな調子です。相変わらずの駄文ですが、お暇な折にでも、付き合ってやって下さると嬉しいです。