世に盗人の種は尽くまじ

埼玉県の深谷市と言えば、新1万円札の「顔」になる渋沢栄一の出身地として、とみに全国的に有名になってきた土地柄だが、ここにある深谷警察署の署長が商業施設のトイレからトイレットペーパー5個を盗んだのがばれてしまった。金額にすると、わずか170円相当だけど、犯人が警察署長とあって、格好の新聞種になった。ただ、各紙を見ると、記事は埼玉版にしか載っていない。なので、以下少し詳しく紹介すると——

警視で60歳になるこの署長は休日だった5月29日、同じ埼玉県の鴻巣市にある自宅から深谷市の署長官舎に戻る途中、JR鴻巣駅近くの商業施設に立ち寄った。その際、男性用トイレの個室から紙袋やショルダーバッグにトイレットペーパーを入れて出てきたところを、居合わせた男性に見つかり、近くの交番に通報されてしまった。署長は当時、自宅などで飲酒した後だったとのことだが、県警が署長官舎を捜索すると、この商業施設から盗んだとみられるトイレットペーパー計13個が見つかった。県警は6月3日、この署長を減給10分の1(1カ月)の懲戒処分とし、署長は同日、依願退職した。10日には、窃盗容疑で書類送検された。
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商業施設などのトイレでは「トイレットペーパー持ち去り禁止」の掲示を見掛けることがたまにある。でも、まさかそんな人がいるのだろうかと疑問に思っていたけど、そうではなかった。上の写真はわが川越市の市営公衆トイレにある張り紙だが、持ち去られると「購入代のわずかな予算が不足し、大変困っています」と、悲壮感が漂っている。署長が訪れたトイレにもこんな掲示があれば、案外窃盗を思いとどまり、晩節を汚さなくて済んだかもしれない。
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話は変わるが、僕が散歩でときどき通る農家の入り口には、上の写真のような野菜などの無人の直売所が設けられている。季節や日によって品は変わるが、ダイコン、ホウレンソウ、コマツナ、ネギ、ブロッコリー、夏ミカンなどが並んでいる。おおむねひとつ100円で、料金入れが傍らに置いてある。そして、奥のほうの壁には「お客様へ」と題した手書きの紙が貼ってある。
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それを拡大したのが上の写真で、読んでみると、なんでも料金を払わないで品物を持っていく人が多いので、必ず払ってほしいとのこと。ほんとにそうなら、お気の毒なことだが、「数名の人が警察に検挙されました」とは、穏やかではない。どこかで見張っているのか、あるいは、監視カメラでも置いているのだろうか。この直売所の主は地域の防犯協会の会員のようだが、どうもいまいち可愛げがない。「人を見たら泥棒と思え」ではないけれど、お客を最初から疑いの目で見ている。
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可愛げがないと言えば、上の2つの掲示もそうである。これらも僕が散歩の途中で見かけるのだが、「農作物を盗むと窃盗罪」「万引きは犯罪」だなんて、あまりにも当たり前のことで、直截的である。胸に響いてこない。こんなことで盗みを思いとどまらせることが出来るのだろうか。

実は、僕もこれまでの生涯で1度だけ、万引きをしたことがある。確か5歳の頃、小学校に入る前のことだった。僕が生まれ育った大阪の家の近くには、割合に有名な神社があり、参拝客を当て込んだ店が並んでいた。そして、漢方薬の店の前には「ニッキ」が山盛りにしてあった。今も「ニッキ飴」なんてものがあるそうだが、当時、ニッキは子どもの好きなおやつのひとつだった。食べたいな。でも、おカネなんて、持っていない。見ると、店の中には誰もいない。思わず小指の大きさほどのニッキを1個手に取り、ズボンのポケットに入れてしまった。万引き成功である。

だが、小学校に上がってから、僕は罪の意識にさいなまれるようになった。親にも相談できない。いっそのこと、ひとりでその店に謝りに行こうかなあとも思った。でも、そんな勇気はなく、店の前を通る時、心の中で「ごめんなさい」とつぶやきながら、そっと頭を下げたりしていた。もっとも、僕もそのうちにずぶとくなり、こんなことはすっかり忘れていたのだが、警察署長のトイレットペーパー窃盗事件をきっかけに思い出してしまった。

大盗賊・石川五右衛門の辞世は「石川や浜の真砂は尽くるとも 世に盗人の種は尽くまじ」だけど、盗むのがトイレットペーパーや野菜、あるいはニッキとは、あまりにもわびしくて、情けなくなる。大先輩からは「盗人」の仲間にさえ入れてもらえないかもしれない。