中国の「おおらかな民主主義」はどこへ行く?

中国では今年、地方議会にあたる人民代表大会(人代)の選挙が5年ぶりに行われている。人民代表の選挙は、全国人民代表大会全人代)など上の方は間接選挙だが、下の方は直接選挙で、18歳以上に選挙権がある。共産党一党独裁下にある中国では、共産党候補の圧勝で平穏に終わるのが普通だが、今年はわずかながらハプニングもあったようだ。

報道によると、北京の人代の選挙で、いわゆる人権派弁護士の妻ら14人が連名で立候補を表明したところ、警察から「立候補を認めない」と告げられた。そして、自宅に軟禁されたり、自宅を取り壊すと脅されたり、様々な圧力を受け、選挙活動の停止に追い込まれた。中国では2017年7月に人権派の弁護士らが一斉に拘束される事件があった。今度の人代の選挙に立候補しようとしたのは、夫らの拘束が違法だと訴えてきた妻たちだった。

そんな報道を読んで、僕が初めて人代の選挙に接した2006年秋のことが思い出された。当時、僕は桂林市の大学の外国語学院でボランティアの日本語教師をやっていた。ある日の午後、教職員室にいると、学院の中庭が何やら騒がしい。数百人の教職員や学生がひしめいている。聞くと、大学がある区の人民代表、日本式に言えば、区会議員の投票日なのだ。教職員と学生を合わせて約3万人のこの大学は1つの選挙区で、2人の人民代表を選ぶとのこと。校内の学院ごとに投票所が設けられ、我が学院では中庭がその投票所なのだ。

投票所の隅に投票箱があり、そばの壁には3人の候補者の名前が貼ってある。いずれも男性で、生年月日、民族、学歴、政党名に大学内での役職が書いてあるが、顔写真も公約もない。3人とも僕の知らない人で、うち2人が中国で圧倒的に多い漢族で共産党員、1人が地元に多い少数民族チワン族で、ある組織に属している。組織は一種の政党だが、共産党には逆らえないから、政党とも言えない。

投票箱の前にいた日本語科の学生に投票用紙を見せてもらうと、3人の候補者名が並んでいて、その上に〇か×を付けるようになっている。定員は2人だから、候補者のうち2人には〇、1人には×を付ける。あとで学生たちに聞いてみると、候補者はみんな、知らない人だと言う。「じゃあ、何を基準に〇か×を付けたの?」と尋ねると、「名前のいい人は〇、そうでない人は×」だそうだ。

投票は2時間で一段落した。すると、投票用紙の束を持った学生が数人、投票箱のそばで何やらごそごそとやっている。投票用紙に「〇〇×」「〇〇×」「〇〇×」と機械的に書き込み、投票箱に放り込んでいるのだ。「〇〇」は2人の共産党員、「×」は非共産員に付けている。大学側から指示されたのだろうか。これらの投票用紙は多分、投票にやってこなかった学生のものだろう。

翌日、同僚の中国人の男の先生と話していたら、「いやあ、今日やっと有権者証が届きましてねえ。おかげで投票できませんでした」と苦笑している。有権者証は投票用紙をもらうのに必要なのだが、当の先生は特には怒っている感じでもない。で、投票結果は新聞に載るだろうと思っていたが、何日経っても、その気配は一向にない。当選者が誰か分からない。学生たちに尋ねると、「そのうちに発表されますよ」と屈託がない。

以上の話は「おおらかな民主主義」と題して、当時の「なんのこっちゃ」に書いた。今回はその焼き直しでもあるが、国会議員に限らず各級の議員や首長などの直接選挙がしょっちゅうの日本と違って、中国で直接選挙の投票日に出くわすのは、極めてまれなこと。再録をご容赦願いたい。そして当時、例えば「いい加減な民主主義」と批判してもよかったのに、あまり腹が立たなかった。ここは大陸の中国、そんなこともあるのだなあ、とむしろ感心していた。「〇〇×」「〇〇×」と書き込んでいる学生たちもどこか無邪気だった。

だが、冒頭に書いたような話に接すると、他人事ながら、とても「おおらか」とは言えないし、「いい加減」とも言っておれない。知り合いの中国人に聞くと、そもそも人代の選挙になんて、行く気になれないそうだ。「だって、投票したって、何が変わるの?」。日本の選挙でもそんな声を聞くけれど、中国の場合、候補者は共産党員がほとんどだ。「政権選択」は不可能である。投票に行っても無駄だと思う気持ちもよく分かる。

人民代表大会の次の直接選挙は5年先の2026年である。その頃、僕は80歳代半ばで、まだまだ若い。コロナ禍もおそらく終息しているだろう。中国各地で人代の直接選挙を徹底取材してみたいと思っている。