「法治文化公園」誕生のいきさつ

いま暮らしている中国は梧州市の住まい近くに「潘塘公園」というのがある。結構広い池が3つあり、広さは1万3千平方メートルほど。20年近く前に香港のビジネスマンの800万元(1元≒19円)の寄付で造ったのだそうだ。近所に住む老人たちが終日、たむろして雑談にふけったりしている。僕も毎日、そばを通っている。公園はバス停の名前にもなっている。

12月1日、公園の入り口にある千平方メートルほどの広場を通り掛かったら、高さ4メートル、幅2メートルばかりのでっかい石が突如、広場の隅に鎮座している。そして、一人のおじさん(石工だろう)が石に何やら刻んでいる。見ると「梧州市 法治文化公園」とある。えっ、潘塘公園から突然、名前が変わるの? それにしても、無粋な名前だなあ。

石碑は一日で完成した。碑の後ろ側にも文字が刻んである。「尊法 学法 守法 用法」。念のために訳せば、「法律を尊び、法律を学び、法律を守り、法律を使おう」。街中でもよく見かける中国共産党のスローガンである。

だんだんと分かってきた。確か中国にも日本の憲法記念日に似たものがあった。突如として誕生した法治文化公園はそれに関係があるのではないか。調べてみると、やはりそのようだ。今の中国憲法全国人民代表大会によって公布施行されたのが1982年12月4日で、昨年からこの日が「国家憲法日」と定められた。どこかいかめしい名前で、今年が第2回目。公布施行から30年以上が過ぎてから記念日が設けられたわけで、大変にのんびりとした話ではある。

それはそれとして、12月4日にはここでも何かの催しがあるはずだ。小雨の中、10時前に公園に行ってみた。ざっと見たところ、150人ほどが集まっている。梧州市司法局やら何やらが出したブースのようなものが並んでいる。「法律相談」という表示が下がっていたり、「消費者保護」についてのパンフレットを配ったりしている。野外の特設舞台では何やらドラマのようなことをやっている。登場人物の身なりなどから判断すると、消費者保護がテーマのようだ。ただ、小雨のせいか、前に設けられた100ほどの椅子席には観客がひとりもいない。

雨が急に本降りになってきた。主催者側はばたばたとブースを片付け、いっせいにどこかへ消えてしまった。催しが何時に始まったのかは知らないけど、10時15分ごろには人影がなくなった。野外の特設舞台も片付けられ、法治文化公園における国家憲法日の初めての催しは早々に終わってしまった。

仕方がないから、園内に新しく設けられた法治についての掲示板を見て回った。「法により国を治めることの核心は、憲法により国を治めることにある」「(すべての人は)法の前に平等である」。ごもっともである。かと思うと「憲法は党と国家の隆盛と発展を保証する」とある。えっ、憲法はまず共産党のためにあるの? ちょっと違うんじゃない? まあ、長年の憲法解釈を180度変えても、のほほんとしているどこかの国の政権もある。この程度で目くじらは立てるまい。

梧州市法治文化公園と記した石碑の脇に、この公園の由来を紹介するもうひとつの小さな石碑があった。それによると、「国を挙げて法によって国を治めるべく加速推進している際、梧州市人民政府は2015年12月4日より法治文化公園の建設に取り掛かることにした」と宣言。続けて「法治文化公園は潘塘公園を利用し、法治についての石の彫刻、照明看板、青少年法治教育宣伝コーナーなどを3年計画で設ける」とある。総工費は約100万元とのことだ。

なるほど、そうなのだ。この法治文化公園建設は梧州市が独自に考えたものではない。どうやらずっと上の方から指示されたもののようである。そうでなければ、人口40万かそこらの地方都市がわざわざこんなことをやるはずがない。

そう思ってインターネットで調べていたら、あった、あった。今年2月6日付で北京の中国共産党中央委員会宣伝部などから22省、5自治区、4直轄市のいわゆる一級行政区の共産党委員会宣伝部などに向けて「学習憲法 尊法守法」活動についての通知が出ている。その中に「法治公園などの法治文化拠点を十分に利用して宣伝に努めるように」との指示がある。これを受けた広西チワン族自治区共産党委員会宣伝部などは4月6日付で今度は梧州市を含む自治区内の14の市の共産党委員会宣伝部などに全く同じような通知を出している。

で、共産党の指導を受ける梧州市の人民政府もそれに従わざるをえない。ついては、わが潘塘公園に白羽の矢を立てたのだろう。中央の指示があってからわずか10カ月で法治文化公園なるものが生まれた。早業である。それにしても、法治公園と称するものが今、この国の市という市に続々と生まれているのだろうか。マンガチックなぞとは言うまい、実に壮観なことではある。