僕って「常識」が足りないのかなあ!?

前回のブログに、学生時代の深夜、屋台のラーメン屋で「1杯食べたが、腹はすいたままだ」という文があったが、僕は当初、「1杯食べたが、腹の虫がおさまらない」と書いていた。お腹がすいて、すいて、どうしようもない、との意味だった。そして、その原稿を編集者にしている娘に送ったところ、「腹の虫がおさまらないとは、腹立たしくて我慢できない、という意味よ。お腹がすいて我慢できないって意味はないんだけど……」と電話があった。

「そうなの? じゃあ、『虫』を削って、腹がおさまらないとしたら、どうだろうか。それで、いいんじゃない?」と答えたが、調べてみると、「腹がおさまらない」も「腹立たしくて我慢できない」との意味のようだ。仕方なく「腹はすいたままだ」と書き換えたが、「へえ、僕ってこんなことも、知らなかったんだ。常識がないね」と感じ入ってしまった。いや、この「感じ入る」も使い方が少しおかしいかもしれない。

ふと、四半世紀ほど前、新聞社を定年退職し、中国の大学でボランティアの日本語教師になった時のことを思い出した。教師になるには、教員免許あたりがあったほうがいいだろうけど、僕にはそんなものはない。そこで、「教員免許がなくても、なにしろ40年近く新聞社にいたものですから、世の中、知らないことはありません」と売り込み、二つ返事で採用してもらった。

幸い、2つの大学での計6年間、その後、自分で塾を開いての数年間、学生や塾生たちから「『腹の虫がおさまらない』の意味は?」なんて、意地悪?な質問は出なかった。もし出ていたら、大恥をかくところだった。

「腹の虫」でちょっとがっくりきた後、雑誌を読んでいて、またもや常識不足を思い知らされた。それは「なせば成る なさねば成らぬ 何事も 成らぬは人の なさぬなりけり」という言葉である。この言葉自体は知っている。意味も分かっているつもりだ。ところが、これが江戸時代の米沢藩9代藩主上杉鷹山(1751-1822)の言葉だとは知らなかった。もちろん「名君」と言われた上杉鷹山のお名前は存じ上げているが、それと「なせば成る」とがつながっていなかった。僕の常識には、どこか「欠陥」があるようだ。

もっと言えば、「なせば成る……」は数々の名言の類を残した戦国時代の武将武田信玄(1521~1573)の言葉にさかのぼるとか。そんなことも全く知らなかった。さらに、意気消沈した。

しかし、捨てる神あれば拾う神あり、である。これも言葉の使い方がややおかしいかもしれないけど、まあいい。要するに、その後、少し自信を取り戻したのである。

テレビで池上彰林修という当代の人気者のバラエティー番組をぼんやりと見ていたら、最近の若者は語彙が乏しいとかで、試みに街中で20歳前後をおぼしき連中に「二枚目」「鈍行」「(話の)さわり」などの意味を尋ねている。すると、全くと言っていいほどに答えられない。例えば、ややうろ覚えだけど、「二枚目」は「表と裏のある人」なぞと答えている。なんたることか。僕なら全部、すらすらと答えられるぞ。

それからしばらく後、僕が好きな藤沢周平氏(1927~1997)の時代小説を読み返していた。すると、『消えた女—彫師伊之助捕物覚え―』の中に「夜泣きそば一杯では、腹がおさまらなかった」という文が出てくるではないか!!! 今、藤沢氏がご存命なら、すぐに手紙を出して、注意喚起したくなったかもしれない。

いやいや、そんな必要はない。言葉の意味や使い方は時代とともに変わっていくものである。ならば、「腹(の虫)がおさまらない」には「腹立たしくて我慢できない」に加えて「腹がすいて我慢できない」という意味も新しく付け加えてもいいのではないか。藤沢氏でさえ間違いを犯すのだから、単なる無知から来たものとは言えない。現に「腹の虫が目をさます」は「空腹」のことである。いっそ、藤沢氏と一緒になって、そんな運動を起こしてみるのも面白かったのではないか。娘に間違いを指摘された悔しさからか、話が随分と飛んでしまった。