律儀な人たち

僕が広西師範大学で教えた女性からメールが来た。今は桂林からバスで5時間ほど離れた町の職業専門学校で日本語の教師をしている。近く桂林に行くので、ぜひ会いたいと言う。喜んで会って夕食をご馳走したところ、「先生、マフラーをお持ちですか」と聞く。「いや、ハルビンにいたころはいくつも持っていたけど、桂林に来る時に全部処分してきたよ。亜熱帯なのに、桂林の冬がこんなに寒いとは思わなかったからね」と答えると、「ああ、よかった」と鞄からマフラーを取り出し、プレゼントしてくれた。どうやら自分で編んだものらしい。

やはり昨年教えた師範大学4年生の女の子数人を夕食に誘うと、当日の昼過ぎ、ひとりから電話で「失礼ですけど、先生の足の寸法は?」と尋ねてきた。夕食を1回ご馳走したくらいで、靴をくれるはずはないだろう。首を傾げていると、プレゼントは、靴は靴でも室内で履く防寒靴だった。犬の格好をしている。いかにも女の子好みの防寒靴である。彼女たちも暖房なしの寒い宿舎で履いているのだろう。

この冬、こちらは半世紀ぶりの寒波とやらで、とにかく寒かった。やはり暖房も何もない僕の家は、昼間でさえ吐く息が白かった。でも、頂戴したマフラーと防寒靴でなんとか乗り切った。

中国人、とりわけ若い人たちと付き合っていて感じるのは、ご馳走してあげた時に、ちょっとしたプレゼントをくれたり、あるいは後日、「郷里から送ってきましたので」と何かを届けてくれたり、そういうのがよくあることだ。相手がずっと年長の金持ち(?)の日本人だからと言って、決しておんぶにだっこにはならない。どこかでお返しがある。律儀な感じがする。

広い中国も案外狭いもの、ハルビンの大学で教えた学生の故郷が桂林で、自宅も僕の家から歩いて行ける距離にある。今は大学院生の彼女が帰省した折、僕が誘って日本料理の店に行った。食事が終わりかけたころ、彼女が手洗いに立った。戻ってきたので、さて勘定をしようとすると、「もう済ませてきました」と言う。「今日は僕が奢る約束だったじゃないか」となじると、「いえ、桂林は私の郷里です。本当は自宅にお招きしなければいけないのですが、母があいにく体調を崩していまして、お招きできません。ですから、ここは私が・・・」。と言われても、値の張る日本料理の店である。そうはいかない。結局、端数だけ奢ってもらうことにし、残りの現金を無理やり彼女に押し付けた。

中国にいる日本人と付き合って、当方がご馳走することも時にはある。だけど、ここまでに書いたような経験はまずない。それどころか、シブチンだなあ、と思わせられることが多い。中国人から「日本人って、奢られぱなっしの人が多いですね」と皮肉を言われることもある。

ハルビンにいたころ、日本語をしゃべる市井の人たちと各大学の日本人教師が食事をともにする集いがあった。僕も誘われて初めて参加した折のこと、食事の後、幹事役の中国人が「では、割り勘で、おひとりいくらいくらです」と言う。へえ、割り勘とは珍しいな、こんな場合、代わる代わる奢り合うのがこの地のルールなのに、と思った。そのことを後日、この中国人に話すと、「最初はそうしていました。ところが、今日は私が、と言ってカネを出すのは中国人ばかり。日本人はいつも知らん顔してご馳走になっているだけ。これじゃ、かなわないから、好きじゃないけど割り勘にしたんです」。

以下は、日本語を勉強中の中国人女性に聞いた話だが——昼前、日本人の男女2人から「食事に行きましょう」とかなりしつこく誘われた。これまでの経験から「また、私が奢らされるのかな」と感じたので、安い店に連れて行った。料金先払いの店だ。案の定、日本人2人はさっさとテーブルについて、楽しそうに話している。注文や支払いは彼女の役目になった。でも、少し抵抗して「ひとりいくらです」と言ってみたが、聞こえないのか、こちらを見ようともしない。結局、代金はすべて中国人の彼女が負担した。

もちろん、中国人の中にもケチ、いやシブチン、吝嗇(りんしょく)と言ってやりたい連中もいる。出すべきものも出さず、他人にたかろうとする。大日本どケチ教教祖の吉本晴彦さんは「ケチはいいが、シブチンはあきまへん」とおっしゃっている。僕の付き合った限りでは、シブチンは日本人に多く、中国人には比較的少ない。とかく大雑把な中国人のほうが、何かと細かい日本人よりも、むしろ律儀みたいである。


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                               岩城 元