中国語もいろいろ

わが「東方語言塾」で日本語の勉強を始めた20歳過ぎの女性。桂林市が所属する広西チワン族自治区の田舎の出身で、地元の中学校を卒業して桂林に出てきた。そして、旅行業の専門学校に入ったが、まず困ったのが、教師の話す言葉がほとんど分からないこと。教師は「共通語」——中国語では「普通話」と呼ぶ言葉で話しているのだが、これが分からない。田舎の小学校、中学校でも、共通語による教育を受けてきたはずだが、どうやら似て非なるものだったようだ。さらには、桂林の人たちの話す中国語の方言、いわゆる「桂林語」も分からない。共通語、桂林語のどちらもが、田舎で話していた中国語とは、全くと言っていいほどに違う。

幸いと言うか、その学校には2年間の共通語コースがあった。彼女はそれに入り、何とか共通語が分かるようになったが、日本で言えば、地方から都会に出た青年がまず日本語学校に通うようなものだ。「あのころは本当に辛かった」と彼女は述懐する。

やはりわが塾に来ている青年の実家に、相棒の中国人の先生が招かれた時のこと。実家は桂林からバスで2時間余りの山の中にある。両親はじめ一族15人ほどが集まって昼食会になった。わが相棒の先生はさすがに外国語を教えているだけあって、方言の桂林語もある程度分かるようになっている。ところが、テーブルを囲んだ人々の言葉は、桂林語ともまた違う。彼女にもまったく分からない。通じる中国語は「ニイハオ」(こんにちは)、「シェシェ」(ありがとう)くらいしかない。一族の人たちは恥ずかしがってか、シーンとしている。テーブルには気まずい空気も漂いだした。

彼女は適当にご馳走になってから「外の写真を撮りたいので・・・」と、気を利かせて席をはずした。途端にテーブルは賑やかになったみたいだった。僕がハルビンにいたころ、教え子の学生から「南のほうでは、山ひとつ越えれば、村ひとつ違えば、言葉が通じないところもあります」と聞かされていた。半信半疑だったが、やはり本当だったのだ。

また、わが塾で韓国語を習っている20歳代半ばの女性。街中にあるわが塾から歩いて20分ほどの所に両親と住んでいるが、川向こうのそこは街ではなく農村だ。川のこちら側が街中、あちら側が村である。「京に田舎あり」ではないけど、国際的な観光都市として発展してまだ日も浅い桂林市には、こんなところが結構残っている。彼女はここで生まれ育った。

その彼女の中学校時代、生徒は彼女の村ともう一つの村からやってきた。村と村は歩いて30分ほどしか離れていない。共通語を使えば、二つの村からの生徒たちは意思が通じるが、それぞれの村で使っていた言葉だと、意思疎通もままならない。勢い生徒たちは村ごとに二つのグループに分かれ、喧嘩などもめごとが絶えなかったそうだ。

彼女は今、街中の幼稚園に勤めていて、2歳の娘は普段、両親が世話している。娘と話す時、彼女はできるだけ共通語を使うようにしているが、50歳代の両親は「変な言葉を使う。温かみがない」と、嫌な顔をする。韓国語を習っているなんて、両親には絶対に秘密だ。

今や中国では、テレビはどんな田舎にだって普及している。そのテレビでは共通語が使われている。なのに、どうして共通語がこんなにも普及しないのか。去年までいた師範大学の中でさえ「共通語を使いましょう」というスローガンが掲げてあった。まったくの想像だが、テレビの共通語を聞いている田舎の人たちは、あれを中国語ではなく外国語とみなしているのではないだろうか。そう言えば、テレビの画面の多くには字幕がついている。外国映画みたいだ。字幕を見ていれば、共通語が聞き取れなくても内容は分かる。

日本語を習い始めて半年ほど、まだ初級クラスなのに、中級の授業にまで顔を出し、じっと耳を澄ませている20歳過ぎの女性がいる。おかげで上達が早い。桂林に近い町の出身だ。ある日、相棒の中国人の先生が「頑張って勉強しなければならない」という日本語を中国語に訳しなさい、との問題を彼女に出した。彼女はもじもじしている。日本語の「頑張って・・・」の意味が分からないはずがない。中国語で言うのはきわめて簡単なはずだ。どうして、黙っている? やがて事情が分かった。

「頑張って・・・」の中国語訳は「必須努力地学習」である。ところが、彼女の頭の中には、桂林語への翻訳「加油学習必須」しか浮かんでいなかった。これを言って先生に注意されるのが怖い。だから、もじもじしていたのだ。ちなみに「加油」もちゃんとした中国語で「頑張る」という意味。今度の北京オリンピックで中国人観客の「中国加油」(ジョングオ ジャーヨウ)という絶叫を耳にした方もおられるだろう。

それやこれや、おかげで僕が時には無茶苦茶な中国語を口にしても、この街では大きな顔をしていられる。ひやかしか本気か「発音がきれいですね」と褒められることさえある。僕のカタコト中国語もいろいろとある「方言」の一つと思われているのかもしれない。

**遅くなりましたが、これまでのコメントに返事を書きました**