足元が命

デパートをのぞいたら、1階で夏物の靴の特売をやっている。もともとこのデパートの1階にはけっこう広い靴の売り場があり、それに特売場が加わったものだから、さながら靴専門の大型店といった感じでさえある。

そう言えば、当地のデパートではおおむね1階に化粧品などと並んで靴売り場があり、それも広い。街中にも靴店が多いようだ。靴磨きと修理を兼ねた店もちょくちょく見掛ける。その靴磨きも、道端でというのではなくて、店内に4人や5人が座れるようになっている。その一角で修理作業をしている。失礼ながら、靴磨き屋にしては、堂々たる店構えである。

デパートの靴売り場、街中の靴店に靴磨き、靴修理——その広さ、多さを考えると、どうやら中国人と日本人とでは「靴」に対する感覚が少し違うのではないか。ふとそう思って、塾で相棒の中国人の先生に聞いてみたら、やはりそうらしい。「日本人は誰かに会ったら、まず顔を見て、それから視線を下へというのが、普通ではないでしょうか。中国人はまず足元を見てから、視線を上へ移します。広い中国のことですから、だれもがそうとは言えないでしょうが、少なくとも私はそうしています」と言う。

日本語にも「足元を見る」「足元を見られる」との表現がある。相手の弱みにつけこむ、あるいは、つけこまれるという意味だ。その昔、かごかきや馬方たちがかごや馬に乗ってくれそうな客を探す時、旅人の足元を見て疲れ具合を判断した、そして、疲れがひどそうなら高い料金を要求した——そんなことから生まれた言葉らしい。近年になっても、宿屋の番頭さんなどはまず客の足元を見て上客かどうかを判断しているという話を聞いたこともある。よく磨かれた上等そうな靴を履いていれば、上客である。中国人の靴に対する感覚は、これと似ているのかも知れない。

わが相棒の先生は話を続けた。「私がこれまでにお付き合いした日本人の女性は、お化粧はバッチリだし、服もいいものを着ているのに、足元がだらしなくて・・・ガッカリさせられたことが多かったです。靴が汚れている、脱いだら、中が傷んでいる。その点、中国人の女性はどんなに貧しくても、足元を大切にします。靴はこまめに修理しています」。

おや、おや、少し困ったことになってきたぞ。僕も今まで足元に気を使ったことはほとんどない。周りの中国人からどう見られているのだろうか。だらしない日本人と思われていたのではないだろうか。恐る恐る彼女に聞いてみると、意外な返事だった。「先生はいつも真っ白い靴下を履いていらっしゃって、大変に清潔感があります。生徒だけではなく、親たちも褒めていますよ」。

僕は脂足のせいもあって、厚手の白い木綿の靴下を履くのが昔から好きだ。ところが、家族からは「子供っぽい」「みっともない」と評判が悪い。靴やズボンの色と調和した靴下がいいそうだ。とりわけ女房といっしょに外出して誰かと会う時なぞには、白い靴下は絶対に拒否される。

しかし、ここは中国、厳しい監視の目もないので、塾ではいつも白い靴下にサンダル履きで授業している。この「白い靴下」というのは、中国では「清潔さ」を象徴しているようでもある。いつだったか、故訒小平氏が足を組んでいる写真を見たら、白い靴下がのぞいていた。ただし、カッコイイとは思わなかったけど・・・。

僕の場合、白い靴下に加えて、高価そうな「サンダル」も生徒や親に好評(?)の背景ではないか、と勝手に推測している。実は、もう10年以上も前のこと、酔っ払って道を歩いていて、車にはねられたことがある。その際、足の甲を骨折したので、靴が履けなくなった。それで、相手がサンダルも買ってくれると言う。根のさもしい僕は、自腹が傷まないのをいいことに、わざわざ三越まで出掛けて最高級品のサンダルを買ってきた。もっとも、履いたのはほんの数日で、以後、新品同様のまま靴箱に放り込んであった。それをこの前、一時帰国した折に思い出し、桂林まで持ってきて履いている。これが好評? こんなのも「怪我の功名」と言うのだろうか。

最初のデパートの話に戻ると、こちらのデパートの靴売り場では(北京や上海でどうなのかは知らないけど)商品棚の靴は右と左の両方ではなく、右か左か、どちらか片一方だけしか置いていない。試しに両方を履いてみようと思ったら、もう一方を店員に頼んで持って来てもらうしかない。万引きを防ぐためだそうだ。確かに、片一方だけを盗んでも、処置に困るだけだろう。

はじめてこれを見た時には、客を泥棒扱いして、といささか不愉快だった。でも、よくよく考えてみれば、右か左か片一方だけを置けば、同じ広さの商品棚に2倍の種類の靴を並べられる。選択の範囲が広がる。客に対して、むしろ親切なのではないだろうか。万引きの出来心も起きようがない。片一方だけの陳列は、足元を重視する土地柄ならではのこと、と思えなくもない。