にせ少数民族

30歳代前半の中国人女性が60歳代の日本の老人と結婚した。女性は桂林の生まれ育ちで、民族は漢族。漢族は56民族からなる「多民族国家」中国で、人口の九十数パーセントを占め、圧倒的な勢力を誇っている。彼女にとって、漢族に属することは、何かと有利なはずだ。だが、彼女は日本の老人との結婚にあたって、出自を変更した。「漢族」であることを辞め、少数民族の「チワン族」になった。

えっ、どうして? どうやったら、そんなことができるの?

わが桂林は「広西チワン族自治区」に属している。チワン族の「自治区」とは言っても、中国人に聞くと、チワン族自治の実権を握っているわけではない。権力はしょせん漢族の手にある。しょっちゅう騒乱が起きる「チベット自治区」を見ても、それは分かることだ。

それなのに、彼女はなぜチワン族になったのか――少し長い説明が必要だ。日本人の男性、それもけっこう年配の男と結婚する若い中国人女性が数多くいる。「国際結婚紹介業」と称する業者が介在していることが多い。日本の男が「お見合いツアー」でやってくる。気に入った女性が見つかり「意気投合」となると、結婚に突き進む。ある結婚紹介業者の広告を見ると、「お見合い→婚約→女性の実家訪問・愛を育むデート」が実質3日間でセットされている。まことにスピーディーである。

で、めでたく結婚式を挙げる。でも、これからが大変である。日本人の男性と結婚したのだから、中国人女性は当然、日本へ行くつもりだ。だが、日本国官憲は偽装結婚とでも疑っているのだろうか、「在留資格」をなかなか与えてくれない。長い場合だと1年、2年・・・5年、6年・・・僕の知っている最高は8年だ。ただ待っている。その間、日本人の夫がちゃんと仕送りをしてくれ、時々会いに来てくれれば、まあ、不幸中の幸いだ。痺れをきらしたのか、連絡が途絶える例もあるそうだ。

話は最初の女性に戻る。出自を漢族からチワン族に変えたのは、そのほうが在留資格を取りやすい、と思ったからではないか。彼女と日本人の男とは、年齢が30歳も違う。偽装結婚と思われるかもしれない。一方で、偽装結婚その他、悪いことをするのは漢族が多い。人口が圧倒的に多いのだから、当たり前のことだ。だが、少数民族は素朴で、悪いことなんて多分やらないだろう、日本国官憲にそう思わせるためだった、と僕は見ている――それが功を奏したかどうかは知らないが、彼女は申請から1か月ほどで在留資格を手にした。僕の知る限りでは、最短期間のOKだ。今ごろは日本で暮らしているはずである。どうか、お幸せに。

漢族の中学3年生の女の子が「わたし、チワン族になりたい」と、やはり漢族の両親をせっついている。なんでも、彼女の同級生の間では、高校受験を控えて、漢族からチワン族その他の少数民族に出自を変えるのが流行っていると言うのだ。

多民族国家のこの国では、少数民族に対して何かと「優遇策」がある。それは、漢族が少数民族を支配する代わりの「飴と鞭」の政策だとは思うが、優遇策そのものは偽りではない。高校受験、そして大学受験の時、少数民族には試験の点数にプラスαがある、つまり、下駄を履かせてもらえるのだ。下駄の高低は地域その他によっていろいろのようだが、ボーダーラインにいる生徒にとっては、死命を決することにもなる。民族なんてどうでもいい、という気持ちはよく分かる。

女の子の場合、母親が「正々堂々、実力で勝負しなさい」と、民族の変更を拒否したそうだが、でも、どうやったら、民族が変えられるのだろうか? 「民族」というのは、国家にとって、特に中国のような多民族国家にとって、きわめて「微妙」な問題ではないのか? なのに、どうして? 女の子の母親にそう聞いたら、「役人にカネを払えばいいんです」と、あっさりしたものだった。母親か父親のどちらかが少数民族になり、娘がそのほうを選択すればいいだけの話だと言う。わが塾には中学2年生の女の子も3人ほど、「高校から日本に留学する」と言って来てくれている。彼女たちにも民族変更について尋ねたが、「よくあることよ」と、驚きもしない。

北京オリンピックの開会式だったか閉会式だったかに、56民族の衣裳をまとった子供たちが出てきた。それぞれの民族の子供たちかと思ったら、みんな(あるいは、ほとんど)が漢族だったと分かり、日本でも結構大きく報道されたようだ。報道の背景には「中国人って、平気で人を騙す」「やっぱり、うそつきだねえ、中国人は」という気持ちがあったように思う。

でも、ここはカネさえ払えば簡単に出自が変えられる、ある意味では「自由な社会」である。もしお望みなら、民族衣装の漢族の子たちを、例えばその時だけそれぞれの民族に変えるのは、まさに朝飯前だったろう。つまり、どうにでもなることなのだ。それなのに、民族衣装を着ているから、その民族だと思った外国人を、中国人は「単純だねえ」と、せせら笑っていたかも知れない。