「文明広告」の溢れる街

文明人になろう。文明都市を創ろう。中国の街では多かれ少なかれ「文明」を冠したこの種のスローガンが多い。桂林でも以前からそうだったが、この夏あたりからはこんな「文明広告」がさらに増え、大げさではなくまさに氾濫といった感じである。

上の写真は最近、歩道にあるゴミ箱に登場した文明広告。上部の8文字が「文明人になろう」「文明都市(城は都市の意)を創ろう」で、下は「文明的に話そう」「文明的に行動しよう」である。下のスローガンを噛み砕いて言えば、前者は汚い言葉を使わないようにしよう、後者はところかまわず痰を吐いたり、ゴミを捨てたりしないようにしよう、といったところだろう。「文明広告」のコピーはこのほかにも各種あり、実にバリエーションに富んでいる。ゴミ箱だけではなく、街中の道路脇には場所さえあればといった感じで顔を出している。

「みんなで知恵を出し、力を合わせて、文明桂林を創ろう」

「小さなことから始めて、自分を文明的にしよう」

「文明って小さなことではありません。でも、小さなことから文明が見えます」

「歩く人も運転する人も文明的に」

「文明はあなたの行動次第です」

まあ、ほんとにいろいろとある。よくも考えたものだ。しかも、登場してしばらくすると、別のスローガンに取って代わられたりする。製造元は多分、中国共産党の宣伝部あたりで、終日コピーを考えている人がたくさんいるのだろう。

なぜ、こんなに「文明広告」が氾濫するようになったのか。思うに、中国も世界第2位の経済大国になった。これからは、物の豊かさだけではなく、心の豊かさを求め、文明人にならないといけない。この場合の「文明」とは「丁寧」「まじめ」「きちんと」あるいは「人間らしい行い」といった意味らしい。今の中国人にはそれが欠けている。つまり、中国人はまだ文明人ではない――現実を直視する中国共産党の謙虚さには頭が下がるというものだ。

文明広告は会社や公園でもお目に掛かる。上の写真の「職工」(職は中国の簡体字で書かれている)は「社員」の意。つまり「文明社員になろう 文明市民になろう」というわけで、製薬会社に掲げられていた。まじめに、きちんと働いてくれる社員は会社にとってもありがたいことだろう。

サルが放し飼いにされている公園に入ったら「文明観賞」と書かれていた。サルとのお付き合いにも文明が要求されるのだ。具体的には、サルにあまり近づかないようにとの意味らしい。僕はサルが寄ってきたら石を投げる真似をして追っ払うことが時々ある。噛みつかれたりはしたくない。だが、サル側からは非文明的な奴だと思われているかも知れない。別の公園に行くと、福禄寿か何かの像の前に「文明消費指南」とある。像と一緒に写真を撮りたければいくらいくら払えとの要求だった。こんなのも文明の範疇に入るのだろうか。


上の写真は男性用トイレの「小」の前に掲げられている奴だ。こいつは多少のバリエーションはあるが、最近の登場ではなく、けっこう以前から各地の男性用トイレで見掛ける。あなたがほんの一歩だけ前に進んでくれれば、文明は大きく進む。意味は女性にもお分かりいただけるだろう。この種のものは日本でもたまに見掛けるが、確か「なんとかかんとかの棹さばき」とか「ナントカカントカ松茸の露」とか、わが国の奴は立派な狂歌になっていた。猥褻感もあるが、含蓄がある。中国の直截的な奴に比べると、文明度、文化度の点で軍配は日本に挙がるのではないか。

閑話休題尖閣諸島沖の事件の時、中国側はカッカとして次々に報復措置をエスカレートさせてきた。これに対し、日本側は繰り返し「冷静な対応」を求めていた。でも、すでに頭に血が上っている相手に冷静な対応を求めても「何を言うか」なぞと、ますます逆上させるだけではないだろうか。それは個人と個人との喧嘩でも言えることだと思う。

そこであの時、中国側に対して「文明はあなたの行動次第です」なぞと、ことあるごとに「文明対応」を求めていたら、どうだったろうか。日本青年上海万博訪問団の招待を「どたキャン」するのは、果たして文明的でしょうか? レアアースの輸出を止めるなんて、文明国の政府のやることでしょうか? 中国側に次々とそのように問いかければ、少しは事態も変わっていたかも知れない。