中国共産党とのお付き合いは ほどほどに

あけまして おめでとうございます
本年も 死にたいほど退屈な折などには 駄文にお付き合いくださいますよう お願い申し上げます

北京から来た知り合いの夫婦が最近の物価上昇についてひとしきりぼやいて帰って行った。「ダイコン、ハクサイ、ジャガイモからティッシュペーパー、トイレットペーパーまでこの1年で50パーセントくらい値上がりしています。ハクサイは今、年中で一番安い時期なのに、1個が10元(1元=12〜13円)近くもするんですから、嫌になります。給料はあまり上がっていないのに・・・」。夫婦は貧乏人ではない。それどころか、桂林までやってきたのは、投資用のマンションを物色するためだった。最後に、妻のほうがぼそっとつぶやいた。「今や中国では、共産党と国民と、どちらの方が強いか、微妙なところですねえ」。

北京に行った知人が同地の知り合いから、ちょっとコワイ話を聞いてきた。2009年2月9日から10日にかけて、北京に建設中の中国中央テレビ(CCTV)新社屋別館が全焼した。ところが、北京の人によると、もともとは何も全焼までするほどの火災ではなかった。出火は夜のまだ遅くない時刻だった。しかも、当日は旧暦の1月15日で、中国では春節旧正月)に続く大切な休日。あちこちで花火が盛大に打ち上げられる。現にこの火災も花火が原因と言われているし、消防署は万全の態勢をとっていたはずだ。

だが、火災が起きた時、人々は「すぐ現場に行こう」と携帯電話で連絡しあい、車やバイクで駆けつけた。あたり一帯は交通渋滞となり、消防車は思うように現場に近づけない。おかげで、高層ビルがあっけなく全焼してしまった。市民が消火活動を邪魔したのは、単なる野次馬根性からではない。CCTVという「権力」のひとつに対する「抵抗」からだ――それが北京人の説明だった。加えてこのビルは男根の形をしているというので、北京市民の間ではもともと評判が悪かった。この北京人は最後に「北京の人間は馬鹿ではない」と付け加えたそうだ。

以上の火災の話、どこまでが本当かは分からない。でも、北京は言うまでもなく中国の首都であり、中国共産党の本拠地である。共産党にとっては、北京市民の支持は何にもまして重要なはずである。そのため、北京市民に対してはこれまで何かと優遇策をとってきた。例えば、北京大学清華大学といった中国の一流大学の入学試験も、北京市民の子弟であれば、かなりの下駄を履かせてもらえる。それなのに、こんな話、あるいは冒頭に書いたような感想が漏れてくるのは、何かが変わりつつあるのではないか。

話は変わるが、獄中にある中国の民主活動家、劉暁波氏のノーベル平和賞受賞が決まった時、わが日本政府の対応は煮え切らないものだった。欧米諸国はもちろん台湾までが中国を批判し、劉氏の釈放を求めた。なのに、菅直人首相は国会で質問に答えて「釈放されることが望ましい」と述べた程度だった。それも、受賞が決まってかなり経ってからだし、「日本政府として釈放を求めるか」と突っ込まれても、はっきりとは答えなかった。劉氏の受賞に猛反発する中国共産党を慮ってのことだろう。悪く言えば、胡麻をすっているように見えた。

中国共産党独裁政権が未来永劫とまでは言わなくても、あと5年、10年、あるいは20年続くという「確信」があるのなら、日本政府の煮え切らない態度も仕方がないとしよう。でも、劉氏受賞に対する中国共産党のあわてぶりを見れば、ご本人たちでさえ、その「確信」を持っていないのは明々白々ではないか。それこそ劉氏の「ペン1本」にビクビクしている。なのに、日本政府は相変わらず中国共産党の顔色ばかりを窺っているように見える。

そう遠くない将来「独裁政権」が倒れて「民主政権」が生まれるかも知れない。劉氏がその象徴として「大統領」になることだって、ありえないことではない。その時、劉氏は獄中からの釈放を正面切って要求してくれなかった日本政府にどんな態度をとるだろうか。劉氏と同じくノーベル平和賞を受けたダライ・ラマ14世とは、日本の首相は会ったことがない。彼が何度も日本に来ているのに、である。もし、チベットに「自治」が戻り、あるいは「独立」なんてことになった時、ダライ・ラマチベット人は日本政府にどんな態度をとるだろうか。

中国国内で独裁政権に抵抗する動きがあった時、ニュースはよく欧米を通じて流れてくる。あるいは、香港経由である。先日、チベット族の学生が北京などでデモした時も、報道は英国経由だった。中国の民主化を物心両面で支援する人たちが欧米や香港には多くいるからだろう。日本にはそんな人たちがどれだけいるのだろうか。恥ずかしながら僕も中国の若者に日本語や日本を教える程度のことしかやっていない。

中国の民主活動家を日本国として、表であるいは裏で支援することは、何も将来への「保険」になるだけではない。一握りの民主活動家に戦々恐々としている中国共産党に対する「カード」にもなるのではないか。今、この地の権力は中国共産党の掌中にある。したがって、彼らと仲良くすることも大切だが、その先のことも睨んでおくべきではないか。日本政府の中国への対応振りに、ごまめも歯ぎしりすることしきりである。