交通事故は死ぬのが一番の幸せ?

9月半ば、桂林で外資系企業に勤める中国人の知人が交通事故に遭った。定年も間近い男性で、わが塾が以前桂林にあった頃の知り合いだった。会社に出勤してすぐ、携帯電話を自宅に置き忘れてきたのに気づいた。自宅までスクーターで10分足らず、携帯を取って会社の近くまで戻ってきた時の輪禍だった。膝から下の両足を骨折した。相手は物流会社の小型トラックで、運転手が救急車を呼んだり、知人の勤め先に電話したりした。妻も駆けつけて来た。

救急車で運び込まれた病院は桂林ではナンバーワンとも言われるところ。病院側の第一声は「(入院、手術のための)おカネは?」だった。その対応は中国では決して間違ってはいない。前もってある程度のカネを払わなければ、入院も手術もしないのがこの地の慣例だ。「命」よりも、まずは「おカネ」である。救急車の代金だって払わなければならない。

だが、妻は急を聞いて仕事先を飛び出して来たのだから、そんなカネを持っているはずがない。彼女は怒り狂った。「交通事故と普通の病気とは違うはずです。すぐになんとかしてください」。病院側も折れて入院をOKした。レントゲン撮影もした。知人の妹も桂林に住んでいる。遅ればせながら、なんとか5000元(1元=12〜13円)を工面してきて、病院に納めた。後で分かったことだが、初日に1600元も掛かっていた。

ところが、入院後、病院は痛み止めの薬などを出すだけで、手術はしてくれない。「足が腫れているから手術は出来ない。腫れが引いてから・・・」と言うだけで、詳しい説明がない。入院の翌々日、妻の弟が遠い洛陽からやって来た。話を聞き、レントゲン撮影のフィルムを洛陽の知り合いの病院に送った。「緊急に手術しなければ駄目です。すぐ来てください」との返事が戻って来た。

ところで、このレントゲン撮影のフィルムのことだが、日本では病院側が保管しているのが普通だろう。が、中国ではすべてを患者が保管している。何も言わなくても病院が患者に手渡す。この点では、中国の病院は患者のプライバシーを大切にしていると言えなくもない。

閑話休題。洛陽まで行くのは大変だから、知人一家はすぐ手術してくれる病院を桂林で探した。見つかった。中国語で言えば「骨科」、日本語だと「整形外科」の病院である。入院中の病院にそのこと告げると、「じゃあ、明日か明後日に当院で手術しましょう」。断固拒否したが、この病院には足掛け1週間入院した。多分、病院の儲けにも関係があるのだろう、1日に10本以上も点滴を受けた。中国の病院はとにかく点滴が大好きだ。風邪で行ってもすぐ点滴になる。で、1週間で払った費用は10000元ほど、1日の入院費が1000元以上だった。

新しく入った病院では、またレントゲン撮影をしたり、手術に必要なものを遠方から取り寄せたりした後、3日目にやっと手術があった。「成功」とのことだったが、手術費用は23000元。これも前払いである。ただ、入院費は1日300元ほどで、前の病院よりかなり安い。これが助かる。

うかつだったが、輪禍に遭ってから知人が初めて知ったことがある。医療保険社会保険・・・この種のものはまだまだ未発達の中国だが、知人の勤め先は外資系であるだけに、これらは充実しているはずだった。確かに一面ではそうなのだが、医療保険は「交通事故」には適用されないことを知人は知らなかった。交通事故の治療費用は加害者が被害者に払うべきもので、病気のための医療保険とは関係がないというのが、その理由らしい。警察の調べでは、今度の事故は相手側に責任がある。だから、加害者は時々、治療費を少しずつ届けには来るのだが、何しろ社員4人の零細企業とのこと。本当に全額を払えるのか、知人は不安でたまらない。

10月15日現在、知人はまだベッドに寝たままで入院中だ。この1カ月で払ったカネは50000元ぐらいになるだろうか。うち半分近くは加害者からのおカネとたまたま入っていた傷害保険でカバーできたが、残りはどう結末をつければいいだろうか。これからもまだまだカネが掛かる。また、勤務時間中の輪禍ではあったが、会社からは「仕事に伴うものとは認められない」と言われている。会社の支援は期待できそうにない。当然、給料も減っていく。

おカネだけの問題ならまだいい。知人が入院して以来、朝昼晩、そして夜中も家族の誰かが付き添っている。遠方で働く一人息子も来てはくれるが、ほとんどが妻と妹の負担になる。1日3食を作って食べさせる、そして下の世話・・・。中国にも「完全看護」なるものがあるとは思うけれど、費用のことを考えれば、知人にとっては関係のない話だ。第一、ちゃんと看護するかどうかも疑わしい。それに、妻と妹は仕事を持っていた。復職できるのだろうか。病室の天井を見ながらあれこれ考えていると、事故で死んでしまった方が楽だった・・・家族もそのほうがよかったかも・・・とさえ思えてくる。

中国では9月30日から10月7日までの8日間、中秋節中秋の名月)と国慶節(建国記念日)が重なった連休だった。僕はこれを利用して南寧から桂林まで汽車に7時間近く揺られて見舞いに行ってきた。南寧に戻ってバスに乗ったら、テレビのテロップで「連休中の交通事故による死者は・・・人」と流れていた。

それを見ながら、亡くなった人たちのことよりも、負傷者はどうしているだろうか、何かと困っているだろうなあ、と思ってしまった。