考える力が衰えてきた?日本人

中国から帰国して早々、コンビニで少し声を張り上げてしまった。事の次第はこうだ。娘夫婦の家に泊まって朝早く目が覚めた。なぜかビールが飲みたくなったが、冷蔵庫を勝手に開けるのは気が引ける。近くのコンビニに行き、缶ビールを10個ばかりレジに持って行った。すると、店員の若い男の子がレジにあるタッチパネルの年齢確認ボタンを押すようにと言う。未成年者に酒やたばこは売れない。そこで「あなたは20歳以上ですか」という問い掛けだ。

素直に「はい」を押せばいいのだが、僕は1940年の生まれである。「いくらなんでも、僕が未成年でないことは分かるだろ? ボタンなんか関係ないよ」と言うと、男の子は「駄目です。警察から言われています」と譲らない。「じゃあ、君が代わりに押してくれよ」「駄目です。自分で押してください」。押し問答の末、結局は「もう要らないよ」と声を荒げ、缶ビールを買わないで店を出た。

あと男の子はぶつくさ言いながら缶ビールを棚に戻したことだろう。僕もいささか大人げがなかったとは思うが、古希を過ぎた人間に「20歳以上ですか」とは、オチョクリにも程があるのではないか。

で、頭を冷やしながら、少し歩いて別のコンビニを探した。ここは50歳ぐらいの女性がレジにいた。やはり、年齢確認ボタンを押すようにと言う。でも、さっき断った手前、ここで押すのも癪である。「代わりにあなたが押してくれない?」と言ってみると、「はい、はい」。やっと缶ビールを手に入れた。

性懲りもないことには、コンビニでの酒をめぐる小競り合いは後日もやってしまった。小旅行をしてホテルに泊まった夜のことで、やはりタッチパネルを押すのを拒否し、酒ばかりか一緒に買おうとしていたコーヒーやパンまで突き返してコンビニを出た。この時はいささか酔っていたせいで、我ながら声も荒々しかった。それを横にいた女房にたしなめられ、「なんだ、亭主が戦っているのを応援してくれないのか」と、夫婦喧嘩にまで発展してしまった。

中国のコンビニにはこんなものはない。第一、未成年者の飲酒や喫煙を禁じる法令そのものもないと聞く。そんな「自由の国」から戻ってきたこともあって、年齢確認のパネルについカッとしてしまった。じゃあ、中国人が日本でこのパネルに面した時はどう感じるのだろうか。来日してまだ日も浅い中年の女性に聞いてみた。彼女もコンビニで年齢確認ボタンを押すよう求められて抵抗したけれど、店員から「申し訳ありません、法律です」と言われ、仕方なく押した。そして「日本人は考える力が衰えてきているのでは?」と感じたとのこと。僕は思わず膝を打ってしまった。

考える力が衰えてきているのは、ひとつはコンビニ側だ。客が一見して60歳代、70歳代でも一律に「20歳以上ですか」「はい」を強要する。店員は上司から言われたマニュアルに従うだけで、完全に思考停止。客が怒っていても、「押せ」と言う以外には対処の仕方がわからない。また、それを押し付ける上司も、経営者までを含めて思考停止である。

もうひとつ、考える力が衰えてきているのは客の側も同じだ。どう見ても自分が未成年に見えるはずがないのに、面倒くささも手伝ってか、素直にパネルを押している。一方では、怒って店員に殴りかかったり、パネルを壊したりして警察沙汰になる中高年もいるとか。暴力は論外だが、不合理に逆らって「考えている」だけ、まだ救いがある。

もっとも、コンビニそしてスーパーを「考える力が衰えてきている」と一概に決め付けるのは、ちょっと大げさかも知れない。少し前の朝日新聞によると、イオングループはタッチパネルによる一律の年齢確認を取りやめ、店員が未成年者だと判断した場合は身分証の提示を求める従来のやり方に戻したとのこと。中高年に不評だったのがその理由だ。また、ファミリーマートはそもそもタッチパネルを導入していない。ただ、2011年12月に大手で初めてタッチパネルを導入したセブン―イレブン・ジャパンやローソン、サークルKサンクスは見直す予定はないと言う。

それはそれとして、僕がこれからコンビニなどでタッチパネルを押すように言われた時はどうしようか。いちいち拒否し、最初に書いたようなもめごとを繰り返すのはうんざりだ。かと言って、素直にパネルを押すのも悔しい。そこで、ない知恵を絞った結果、積極的に攻めることにした。つまり、押すのは拒否するが、その代わり運転免許証やパスポートを提示し、相手に年齢を確認させるのだ。

実際にやってみた。「押してください」と言われるのと同時に「あ、ちょうど運転免許証があります」と、店員の眼前に免許証を突き付けた。相手はびっくりしたみたいで、自分で「はい」を押してくれた。免許証の生年月日を確認した様子はなかった。意地悪じいさんめいてはいるが、タッチパネルがなくなる、あるいは、押すのを強制されなくなる日まで、この手で戦っていこうと決心している。