「無口」を「反省」させられた今年

僕はこれまで周りから「無口」と言われることが多かった。でも、そう言われても、気にはしていなかった。「沈黙は金 雄弁は銀」とも言うではないか。無口だと言われるだけあって、僕はさすがに饒舌ではない。でも、話すべきことは、ちゃんと話しているつもりだ。ところが、今年は無口を痛感させられる事件?が相次いだ。

まずは、その最初だけど、僕が以前に勤めていた新聞社は、自分史を作りたい人を支援する「自分史事業」なるものをやっている。その際、僕のような記者OBが本人から取材して本にする「記者取材コース」と、本人がある程度、自力で原稿を仕上げ、校正・編集などを手伝う「原稿持込コース」がある。費用は前者のほうがかなり高い。

その自分史の事務局から「記者取材コースを1つ、やりませんか」と誘われたので、引き受けた。報酬もくれる。相手は70歳代の男性で、離島出身。中学卒で上京し、専門学校を出て、電気工事業に携わってきた。年商数億円の電気工事会社の代表取締役だが、「学歴の低い自分がここまでやってこられたのは、周りの助けがあったからだ。その感謝の気持ちを表すために自分史を残したい」とのこと。大変に謙虚な人物のようだった。

1回、3時間前後のインタビューに5回、6回、7回と通い、生まれてからこれまで、彼がたどってきた道を話してもらった。その都度、原稿にして本人に送った。おおむね満足してもらっているようだった。ところが、原稿全体がほぼ完成した頃になって、風向きがおかしくなってきた。僕の口数が少なく、もっといろいろと質問してくれないから、ほかにも話したいことがたくさんあったのに、しゃべれなかった――そんな苦情を新聞社の事務局に伝えたようなのだ。

最初は「エッ、どういう意味?」とびっくりしたのだけど、分かってきたのは、ご本人はこの自分史を、周りへの感謝の気持ちを表す一方で、自分はかくも立派な人生を歩んだのだという「成功物語」にしたかった。つまり、自慢話をもっとしたかったのだが、僕が話をそちらの方向に仕向けてくれない、言い換えれば、おだてたりはしてくれないので、それが出来なかった。あとで聞くと、本人は故郷では「島が生んだ松下幸之助」と言われていたそうで、そんな話もたっぷりとしたかったみたいだ。

もし、僕が現役の記者として誰かをインタビューするのなら、事前に相手についていろいろ調べ、実際に会った折には、普通の質問のほかに相手をおだてたり、嫌味を言ったりと、相手の本音を引き出すのに必死になっていたはずだ。

だけど、今回は自分史なのだから、相手が言うことをそのまま文章にすればいいといった軽い気持ちで臨んでいた。そこに「無口」が重なって、相手の不興を招いてしまった。

この話はひと騒動の後、なんとか終息したが、自分史事務局が2番目に持ってきた話は、入口でつまずいてしまった。今度は90歳の女性で、1945年3月10日の米軍による東京大空襲について書き残したいのだと言う。挨拶に行って少し話を聞き、第1回目の取材の日取りまで決めて戻ってきた。ところが、しばらくして自分史の事務局から、僕の「無口」を理由に彼女から担当者を代えてほしいと言われたと伝えてきた。彼女によると、僕が彼女といた間にしゃべったのは「録音していいですか」と「トイレを貸してください」の「二言だけ」。あんなに無口な人間では困ると言っていたそうだ。

いや、僕に言わせれば、そんなに無口だったわけでは、決してなかった。第一、彼女から「『露営の歌』という軍歌を知ってる? 歌ってみて」と言われ、すぐに歌ってあげた。「勝ってくるぞと勇ましく誓って故郷(くに)を出たからは手柄立てずに死なりょうか 進軍ラッパ聞くたびに瞼(まぶた)に浮かぶ旗の波」。さっきの電気工事業の男性とは違って、ここまでサービスしているのに、「無口」とはどういうことだろうか。

もう30年以上前、新聞社で、ある紙面の編集長をしていた時、毎週1回のコラムを書いてもらうことになったジャーナリストの女性と、打ち合わせを兼ねて会社近くの居酒屋で3時間ほど酒を飲んだことがある。その後、随分と経って、彼女とたまたま顔を合わせたら、「あの時、あなたは一言もしゃべりませんでしたね」と言われてしまった。

絶対にそんなことはない。一言もしゃべらないで、どうして打ち合わせが出来るの? でも、この女性といい、自分史のお客といい、僕は無口だと思われてしまうようだ。大学医学部の不適切入試問題で出てきた「コミュニケ―ション能力」とやらが足りないのだろうか。じゃあ、これからの残り少ない人生はしゃべりまくってやろう、という気持ちにもなれない。まあ、無口が僕の性(さが)なのだろう。付き合っていくしかない。

(本年も相変わらずの駄文にお付き合いくださり、ありがとうございました。年末年始は例によって日本を不在にします。久しぶりに大陸の中国で過ごしてくるつもりです。どうかいいお年をお迎えください。来年も何とぞよろしくお願い申し上げます。)