黄金?の80歳代よ こんにちは

僕は先月、満79歳になった。数えではすでに今年初めから80歳なのだが、満で79歳にもなると、さすがに「80歳」という実感がわいてくる。さて、これからの80歳代をどう生きていくか。僕にとっての「黄金の80歳代」にしたい。かねがねそう思っているのだが、「人生百年時代」とはいうものの、年齢が理由の「障害」も何かと多い。

最近、73歳の元編集者が自身の体験を記した『交通誘導員 ヨレヨレ日記』が売れているそうだが、筆者の柏耕一さんによると、人間も70歳を過ぎると、雇ってくれるところは「誰でもなれる」「最底辺の職業」の交通誘導員くらいしかないみたいである。

僕は60歳で新聞社を定年退職してから、中国のハルビンと桂林の大学でボランティアの日本語教師を計6年間、そのあと桂林と南寧で日本語の塾を合わせて7年ほどやっていた。5年ほど前に事情あって塾をいったん閉め、日本に戻ってきたが、僕にとっては中国の大学で日本語を教えているのが、一番気楽で楽しい。中国の大学はボランティアの教師にも広々とした宿舎を提供してくれる。それもありがたい。

そして、「暇になったら、いつでも来てください」と言ってくれる大学もあったので、塾を閉めてしばらく経った70歳代半ば、「行きます」と連絡した。ところが、相手からは「実は、理由はよく分からないのですが、政府の方針で外国人教師は60歳までということになってしまいました。私たちにはどうしようもありません」との返事が戻ってきた。

教師がダメなら中国語を学ぶ留学生でもいいや、留学生で1~2年間いたら、何か道が開けてくるかもしれない――そう思ってこの春、僕が教えたり住んだりした桂林と南寧の大学に受け入れを打診してみた。それも、直接に頼んだら、年齢を理由に断られるかもしれない。そう考え、かつて同僚だった中国人の先生などを通じて用意周到にやったのだが、結果は「申し訳ありませんが、留学生も60歳までです」と断られてしまった。

話は少し変わるけど、僕はこの3年ほど、ネットの「J‐CASTニュース」というところに月に3回『こんなものいらない!?』というコラムを連載してきた。この『なんのこっちゃ』でも紹介したことがある。その編集者からこの夏の終わりごろ、「折り入って話があります。居酒屋ででも……」と言ってきた。連載はまもなく100回になる。多分、連載打ち切りの話だろう。僕も「そろそろ」と思っていたから、それに抵抗はない。

居酒屋でごちそうしてくれた編集者の話は、思った通りだったが、その理由が振るっていた。「私はいまいち納得できないのですが、社長が筆者は80歳までにしたいと言っていますので……」。「えっ、おたくの社長は新聞社時代の先輩でよく知ってるけど、彼だって80歳を超えてるぞ」と言って笑ったことだったが、ちょっと意外だった。

教師もダメ、留学生もダメ、ネットでのライターもダメ。そうなると、あとは「介護」だろうか。僕は3年ほど前に介護の「初任者研修」というのを修了していて、一応の資格はある。

この介護の世界でも60歳を超えると原則お断りなのだが、いつだったか、ある介護施設に行き、「年齢で差別するのはおかしい。1日でもいいから、まず働かせてみたらどうか」とねじ込んだことがある。そして、1日働いた後、そこの責任者から電話がかかってきたので、「なかなかに大変な仕事ですねえ」と答えたら、「そうでしょうね。じゃあ、この話はなかったことにしましょう」と、その場でクビになった。

僕が「大変な仕事」と言ったのは、この種の仕事に対する「敬意」あるいは「お世辞」のつもりだったのだが、相手は待ってましたとばかり、クビの理由にしてしまった。相手はもとから、80歳に近い僕を雇いたくなかった。そこで、クビの理由を探し求めていたのだろう。

そういうわけで、「黄金の80歳代」はまだ先が見えてこない。だけど、同じ介護の仕事でも、中国に求めれば、少しは先行きも明るいのではないだろうか。中国の介護事情は日本よりずっと遅れているはずだ。人材を求めているに違いない。そう思い、心当たりの中国人に声をかけているが、今のところ、はかばかしい返事は戻ってきていない。