「柳条湖事件」は「9・18」「九・一八事変」とも覚えておきたい

この3月初め、新聞、テレビなどのメディアは連日、「3・11」についての報道でにぎわった。3月11日が2011年の東日本大震災から10周年に当たっていたからだ。9月初めは「9・11」でにぎやかだった。9月11日は2001年の米国での同時多発テロから20周年だった。そして、僕は9月も半ばになれば、90周年の「9・18」についても報道が増えるだろうと思っていた。だが、期待外れだった。

1931年9月18日の夜、旧満州(現在の中国東北地方)の奉天(今の瀋陽)郊外の柳条湖で、日本の関東軍南満州鉄道の線路を爆破した。そして、これを中国軍による犯行だと発表して、満州侵略の戦端を広げていった。9・18は満州事変が勃発した日である。翌19日の朝日新聞は「奉軍、満鉄線を爆破,日支両軍戦端を開く」と伝えている。関東軍の言いなりの報道で、奉軍とは当時の中国東北軍のことである。翌32年には日本の傀儡国家・満州国(中国側の呼び方では「偽満州国」)がつくられた。「柳条湖事件」は、日本が泥沼の戦争に突入し、1945年の破滅へとつながっていく端緒となったのである。

そして、今年9月中頃の新聞を見ると、毎日新聞がコラムで、9・18への関心が薄れているとして、「学び直しが要る」と述べていた。朝日新聞は社説で「9月18日が何の日か、知っていますか」「忘れずに、心にとどめていきたい」と書いていた。ただ、90周年なのだから、9・18についての連載記事もあるのではないか。そう期待していた僕から見ると、報道は地味だった。

確かに、この事件に対する私たちの関心は薄れてきている。そして、その原因の一つは「柳条湖事件」という呼び方にもあるような気がする。柳条湖事件では、なんか、それほど大した出来事でもなさそうな感じもする。緊迫感が伝わってこない。一方で、中国人はこれを「九・一八事変」と読んでいる。たいそうな事件ですよ、と言っている。この日は中国人にとって「国恥の日」であり、「国の恥を忘れるな」が合言葉となる。
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瀋陽にはこの事件が起きた場所に建てられた「九・一八歴史博物館」がある(上の写真。『地球の歩き方』から)。巨大なカレンダー型の石造の建築物が目を引き、「18」が大きく刻まれている。18の上に1931、向かって右側に9月とあり、左側には曜日までが書かれている。今年も9月18日には記念式典が行われ、防空警報が鳴り響いた。

実は僕も、20年ほど前に中国ハルビンの大学で教えるようになるまでは、恥ずかしいほど無知だった。柳条湖事件は1931年というぐらいは知っていたけど、9月18日なぞというのは記憶になかった。中国で「九・一八 国の恥」といった表現を見聞きしても、「えっ、それって、なんのこと?」と思うほどだった。

そんな頃だったろうか、日本のある会社の社員たちが、何かの記念で香港だったかに団体旅行でやってきた。そして、男性社員らがかなり派手に買春をやらかした。それ自体、好ましくない行為ではあるが、ちょうどその日が9月18日だった。よりによって、なんでそんな日に日本人が中国で買春を……と、中国人を憤激させた。もちろん、この会社員たちはその日が何の日か、頭の片隅にもなかったことだろう。

瀋陽の九・一八歴史博物館には、何年前だったか、僕も一度、行ったことがある。ハルビンの大学で教えた女性が結婚して瀋陽に住んでいたので、訪ねていき、案内してもらった。あとで、彼女の夫君の母上にそのことを話すと、「せっかくいらっしゃった先生を、なんでそんなところにお連れするの?」と、息子の妻を責めていた。日本人にとって不愉快な場所にわざわざ連れて行かなくてもいいじゃないの、という心遣いだったのだろう。

いや、少し真面目になるけど、たとえどんなに不愉快であっても、「歴史」を、そしてその「日付」を忘れてはいけない。日中の全面戦争の発端となった1937年7月7日の盧溝橋事件もそうである。事件の真相は未だにはっきりとしないが、中国側ではこれを「七・七事変」とも呼んでいる。柳条湖事件とおなじく盧溝橋事件と呼ぶだけでは、なんか緊迫感が伝わってこない。

私たちはヒロシマの「8・6」、ナガサキの「8・9」あるいは敗戦の「8・15」と同じように、「9・18」も「7・7」も併せて覚えておくべきではないか。日付が頭の中にあってこそ、歴史を「鑑」とすることが出来るのではないだろうか。