長き同居人「冷蔵庫」との別れ

長年、わが家で働き続けた電気冷蔵庫(下の写真)がついに寿命を迎えた。わが家に来たのはほぼ43年前、記憶も薄れそうな頃で、当時は「ナショナル」、今の「パナソニック」の製品である。最近の冷蔵庫に比べて、電気代はいくらかは高くついていただろう。だけど、冷蔵も冷凍もほぼ完璧にこなすし、別に働けなくなったわけではない。デザインも悪くはなく、外観は全くの健康体である。

ところが、去年の夏ごろに体調を崩した。冷蔵庫の一番下のあたりから、水がしょっちゅう漏れ出てくる。それをいちいちタオルで拭き取るには、けっこう手間が掛かる。介護をしているような気にもなる。部品さえあれば直らないことはないようだが、何しろもう部品がない。文句も言えない。

いよいよ駄目だなあ、と思っていたら、秋になり気温が下がり出すと、不思議なことに、お漏らしがピタリと止まった。ところがこの春、気温が上がり出すと、また元の木阿弥である。代わりの冷蔵庫も早くから見つけておいたので、思い切って取り替えることにした。家電量販店あたりで聞くと、10年、20年働いた冷蔵庫もあるにはあるが、40年以上というのは初耳だそうだ。国税庁の「主な減価償却資産の耐用年数」という表を見ると、電気冷蔵庫のそれはたった6年である。

それだけに、同じ冷蔵庫とこんなにも長く一緒に暮らすと、相手が単なる「物」とはいえ、別れるのが忍びなくなる。そうだ、メーカーに資料館か博物館といった施設があれば、わが社の「歴史」の一つとして引き取ってくれないだろうか。別れの悲しみも少しは癒される。日本全国を探しても、同じものはそんなにはないはずだ。そう思って、メーカーに打診してみたが、お呼びではないみたい。「けんもほろろ」だった。同じものがすでにあるのだろうか。乗用車なら「クラシックカー」などと、もてはやされたりもするが、冷蔵庫は身分が違うみたいである。いよいよお別れの日がやってきた。

話は昔に飛ぶけど、冷蔵庫を送り出すことについては、一つ思い出がある。20年ほど前、中国ハルビンの大学で日本語を教えていた頃のことだ。同じ大学の中で、何人かの同僚と一緒に宿舎を変わることになり、引っ越し業者がやってきた。元の部屋にはそれぞれ冷蔵庫がある。1~2人用のそう大きくはない冷蔵庫だけど、どうやって運ぶのかなと眺めていた。すると、おじさんが首に掛けた太めの縄に、1人でなんと冷蔵庫を3つもくくりつけて体の周りに下げ、2階から1階に下りて行った。想像もしていなかったことで、たまげてしまった。中国人って、すごい、力持ちだなあ。南方の桂林の大学にいた時も、鋼鉄製の大きな本棚を背中にくくりつけて階段を上っていくおじさんを見て、やはりたまげた。

そして今に戻り、上の写真の向かって左が、引き取られていく冷蔵庫で、右のトラックの上にあるのが、新しく来た冷蔵庫である。どちらも背丈は180センチ、重さは100キロほどである。古い冷蔵庫は男性2人で台所からこの場所まで担いできた。新しい冷蔵庫は、そばにいる30歳代とおぼしき男性が1人で、まるでリュックサックを背負うようにして、トラックからわが家の台所まで運んできた。日本人も決して中国人の力持ちに負けてはいない。僕は変に感激して、写真を撮るのを忘れてしまった。

閑話休題。3年半ほど前に「わが家の『長持ち三羽烏』」として冷蔵庫、自転車、腕時計をこのブログで取り上げたことがある。そのうちの一つがついにお陀仏となった次第だが、あと二つのうち、買ってからほぼ53年になる「ブリヂストン」の自転車はまだまだ健在である。普段は、庭先に放置され、時には雨風にさらされているが、文句一つ言わない。

残る一つの腕時計「セイコースポーツマチック5」の寿命は自転車をさらに上回り、確か58年ほどになるが、こちらのほうはさすがに動かなくなった。東京・銀座の和光の中にある修理屋に持って行ったら「開けて調べるだけで4万円、修理代はまた別で、いくらになるかは分かりません」と言われた。で、当面の修理はあきらめ、今はとりあえず静養してもらっている。

三羽烏」の一つが残念ながら欠けてしまったけど、これからは自転車と、腕時計にもそのうちに復帰してもらって、僕との三者で長生き競争を再スタートさせようと思っている。