「納豆」賛歌

前々回だったか、かねてから僕の好物だったビールとカレーライスに加えて「最近は欠かせない好物が新たに三つばかり、つまり枝豆とバーボン、甘納豆が加わった」という実にくだらない話を書いた。そして某日、いつものように、「夕暮れ時には枝豆をつまみながらビール、夜が更ければ、つまみを甘納豆に変えてバーボンのオンザロック」をやっていて、ふと思いついた。甘納豆も好きだけど、「納豆」のほうがずっと好きだ、そうだ、これについても書かなくちゃ。で、今回もくだらない話である。

僕が納豆を食べ始めたのは、大学生になって京都に下宿した18歳の時である。それまでは一切食べたことがなかった。というのは、僕が生まれ育った大阪府の片田舎には(今ではそうではないと思うけど)納豆なんてものは、全く存在していなかった。マンガで「なっと~ なっとなっと なっと~」と叫ぶ「納豆売り」の話を読んで、「へぇ~ そんな世界もあるんだ」「納豆って、どんな味がするんだろ?」と思っていた。

ところが、京都に住むと、納豆が身の回りにあふれている。わが国における納豆の発祥地としては、秋田県茨城県熊本県などが名乗りを上げているようだが、京都府もそのひとつである。その京都で、生まれて初めて食った納豆は、なんともうまい。おまけに安い。時には下宿仲間と自炊する折に食べるようになった。納豆に、生卵と刻んだネギを加え、醤油を少し入れてかき混ぜる。これだけでご飯のおかずになる。いくらか手間がかかるのは、米を洗うぐらいである。

今はさらに省力化し、「レトルトご飯」をレンジでチンして茶碗に入れる。その上に納豆と生卵を加え、醬油を垂らしてかき混ぜる。ご飯とおかずが一体化した料理である。食べながら「ああ、幸せだなあ」と、つくづく思う。

ふと、日本の納豆にほれ込んだ中国人の青年のことを思い出した。彼は日本の旅行会社で添乗員をしていて、僕の中国旅行の際には何かと助けてもらったことがある。僕がまだ新聞社にいた頃のある日、その彼から「ぜひ話を聞いてほしい」と電話があり訪ねてきた。そして、威儀を正して言うには「私は間もなく30歳になります。以後は、日本の納豆を中国に広めることに人生を掛けたいと思います。ぜひ、お力をお貸しください」

突拍子もない話に最初はびっくりしたが、よくよく聞いてみると、話の筋は通っている。彼は日本に来た当時、和食の中で納豆だけが食べられなかった。しかし、少しずつ慣れてきた。そして今、日本人の旅行客を中国に案内して戻ってくると、疲れ果てて全く食欲がない。でも、納豆だけは食べられる。納豆のみが喉を通る。ついては――と話すのである。

僕は「納豆業界」と何のつながりもないが、そこは新聞記者だから身は軽い。まず、業界の団体に行って「こういう事情だから……ひとつよろしく」と頼み込み、次には茨城県の納豆業者に彼を連れて行った。そして1年間、ここに住み込んで、納豆について勉強する話をまとめた。彼も喜んでOKしたはずだった。

ところが以後、彼とは全く連絡が取れなくなった。どうしたんだろう? 僕をだますつもりだったのだろうか、まさか? 彼が働いていた旅行会社の上司にそっと尋ねてみると、「彼、話が大きくなりすぎて、おじけづいてしまったみたいですよ。彼には家族もあることだし……」とのこと。そうか、僕があまりにとんとん拍子に話を進め過ぎたのかもしれない。1年間、家族と別れて住み込みで働くなんて、想像もしていなかったのだろう。結局、僕が関係者を回って平身低頭、ひたすらお詫びすることになった。

その頃の新聞に載っていた別の話も思い出した。なんでも、カナダに住む中国系の少年が10歳代前半で大学に合格した。両親は特別の教育をしてきたわけではない。ただ、他の子供たちと違うところは、小さい頃から毎日、納豆を食べていたことだそうだ。僕も大阪などではなく、どこか納豆発祥の地に生まれ育っていれば、人生も少しは変わっていたかもしれない。

実は、小学校4年生になる僕の孫娘も納豆が大好物である。彼女の家でそれぞれが手作りで海苔巻きを食べていると、彼女は納豆巻きしか作らない。他の食材には目もくれない。ふとしたら、彼女も……と夢想してしまうのである。